みなさん、いよいよ開幕です!日本が勝つように祈りましょう!
と、タイトルの流れから期待されたかもしれませんが私は日本の勝ちにはまったく興味ありません(^。^)
サッカーワールドカップにも興味ありません。強いて言えば、日本が負けたときの社会の、マスコミの反応がどうなるのかものすごく興味があります。
はじめに言っておきます。私は非国民ですw
日本代表の中にとんだおとぼけコメントをしている選手がいました。「日本を背負って頑張ります」、というものです。何を勘違いしているのだろうかと非国民の私は思ってしまいます。少なくとも私はそのコメントをした選手に私の人生の何も背負ってもらっているつもりはないし、日本国籍を所持するものとして何も背負ってもらっているつもりもありません。
そもそも国家という単位を基軸にサッカーの対抗試合をするという発想がなんとも時代遅れの感があります。サッカーワールドカップってそんなに魅力的ですかね?
クラブワールドカップというのもありますが、私はあっちの方が魅力的だと思うんです。単純に国家を超えて一流スターたちで構成されたチーム同士が試合をする。なんとも健全な大会だと思いますが・・・・・・。レベルもこちらの方が当然高いですよね?たぶん。
と、サッカーと日本国をともに愛する人々からおもいっきりののしられそうなことを書きましたが、今日はなんと福岡高裁が国が生活保護の老齢加算を廃止したのは違法である、と判断を下したそうです。
私はこの種の活動に全く関わっていませんからど素人ですが、すげぇ判決が出たなという思いがあります。しかも控訴審ですからね。詳しくは以下をご覧ください。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100614/k10015101671000.html
私は今日の判決はワールドカップの日本の勝敗の何百倍も価値あるものだと思います。「おまえはサッカーに興味ないからそんなこというんやろ?」と言われそうですが、そうではなく、そんなことに関係なく私たちの生活に関わっている福祉の向上(回復?)に一石を投じた判決として日本に住む人みなに関わってくるものだと思います。
ワールドカップよりも、この問題の特集を組んでくれたらうれしいのですが、まだこの社会はそんな状況ではありませんね。社会の盛り上がりの陰にかくれてこんなことがありました、という報告でした。
さて、今日は11時から日本の初戦を観ますのでこのへんで(*^。^*)
もちろん、「日本、先制されました~」という実況を一番に期待しています。
by非国民
何事も、いきなり劇的な変化を示すわけではありません。思い通りに物事が進まないことによって歯がゆい気持ちになることもあります。しかし、わずかな変化をしっかり受け止め、一方で満足することなく、小さな進歩の積み重ねによる大きな変化を実感したいと思っています。なお、このタイトルは湯浅誠さんの論文から感じたことを参考に作成しています。
2010年6月14日月曜日
2010年6月10日木曜日
アスベスト裁判<対日本通運・ニチアス>傍聴記
いつも一日遅れの報告ですみませんが、今回は二日前のことを報告です。
6月9日、大阪地裁1010号法廷でアスベスト被害を受けた方のご遺族が日本通運とニチアスを被告として損害賠償を求めている裁判の傍聴に行きました。名前を出して問題ないと思うのですが一応、原告の方をYさんとしておきます。被害を受けたのはYさんの父親で、悪性中皮腫(アスベスト被害特有のガン)に罹患してすでに死亡しています。
まず問題を簡単に整理しておきますと(なお、私は当該の人間ではないので細かい点を理解していません。間違っている点もあると思いますが流れをつかんでいただく意味で必要と思います。どうかご容赦ください)、Yさんの父親は1960年前後に日本通運の社員としてニチアス(当時、日本アスベスト)奈良・王寺工場内に常駐して、アスベストの積み卸し作業をしていました。アスベスト原料が入った袋が破れていたこともあったようです。
退職後、胸水がたまっていることがわかり悪性中皮腫と診断されて亡くなっていきました。悪性中皮腫発症後、アスベスト暴露との因果関係をセカンドオピニオンの医師から説明され、生存中に日本通運とニチアスに対して補償などを申し入れていましたが誠実な対応をされないままYさんのお父さんは亡くなられました。その後、YさんとYさんの姉、Yさんのおじさん(Yさんの父親の弟)が原告となり訴訟へと踏み切った、という経緯があります。
これまで私も何度もYさんの裁判の傍聴にいきました。この種の裁判は、最初の1~2年は法廷が開かれても10分~20分程度でその日の審理が終ってしまうのです。何をするのかというと、原告・被告双方から提出された資料の確認(裁判中に何度もお互いの意見を書面提出して反論しあうのです)と次回の日程確認、裁判進行にあたっての意見などが原告側あるいは被告側から出される、といったやりとりです。
私は最初に大阪・泉南アスベストの裁判にいったとき、少し気合いを入れて傍聴にいったのですが、ものすごくあっさりとほとんど中身のないものだったので驚いた経験があります。単調な審理が一定期間続き原告・被告双方の意見が落ちついてくると、それらを机上の空論で終らせないために互いに「証人」を登場させて審理をおこなっていくわけです。これがテレビで良く見る裁判風景であり、これが裁判の醍醐味の一つでしょう。なぜ今回、Yさんの裁判の傍聴記を書いているかというと・・・・・・。
そうなんです! やっと裁判が証人尋問に突入したのです。
午前中にYさんの原告本人尋問。午後に被告側証人二人の尋問がありました。私は午前中原告本人尋問の主尋問部分だけの傍聴しかできませんでした。尋問には主尋問(原告側弁護団からの質問)と反対尋問(被告側からの質問)があります。傍聴者が多数いて、任意で交代をしました。
Yさんは主尋問の最後に、弁護士から最後に言いたいことを述べてくださいと言われると、「ここまでこれたのは裁判所の皆さん、応援してくださった方々がいてくださったからです。ありがとうございました」と述べておられました。
裁判終了後の報告集会でYさんは「ここまでくるまで本当にヘロヘロになることもありましたが、弁護団の先生はじめ、ご支援くださった皆様のおかげです」と涙ながらに話され、Yさんはじめご家族の方々の肉体的・精神的なしんどさが私が想像していた以上であったことを痛感しました。
秋には結審し、来年には間違いなく勝訴判決が言い渡されるはずです! 思い込みではなく、この裁判の裁判長は他のアスベスト裁判でも被害者の意をくみ取ってくださる傾向があるのです。
引き続き、ご注目・ご支援をお願いします。
6月9日、大阪地裁1010号法廷でアスベスト被害を受けた方のご遺族が日本通運とニチアスを被告として損害賠償を求めている裁判の傍聴に行きました。名前を出して問題ないと思うのですが一応、原告の方をYさんとしておきます。被害を受けたのはYさんの父親で、悪性中皮腫(アスベスト被害特有のガン)に罹患してすでに死亡しています。
まず問題を簡単に整理しておきますと(なお、私は当該の人間ではないので細かい点を理解していません。間違っている点もあると思いますが流れをつかんでいただく意味で必要と思います。どうかご容赦ください)、Yさんの父親は1960年前後に日本通運の社員としてニチアス(当時、日本アスベスト)奈良・王寺工場内に常駐して、アスベストの積み卸し作業をしていました。アスベスト原料が入った袋が破れていたこともあったようです。
退職後、胸水がたまっていることがわかり悪性中皮腫と診断されて亡くなっていきました。悪性中皮腫発症後、アスベスト暴露との因果関係をセカンドオピニオンの医師から説明され、生存中に日本通運とニチアスに対して補償などを申し入れていましたが誠実な対応をされないままYさんのお父さんは亡くなられました。その後、YさんとYさんの姉、Yさんのおじさん(Yさんの父親の弟)が原告となり訴訟へと踏み切った、という経緯があります。
これまで私も何度もYさんの裁判の傍聴にいきました。この種の裁判は、最初の1~2年は法廷が開かれても10分~20分程度でその日の審理が終ってしまうのです。何をするのかというと、原告・被告双方から提出された資料の確認(裁判中に何度もお互いの意見を書面提出して反論しあうのです)と次回の日程確認、裁判進行にあたっての意見などが原告側あるいは被告側から出される、といったやりとりです。
私は最初に大阪・泉南アスベストの裁判にいったとき、少し気合いを入れて傍聴にいったのですが、ものすごくあっさりとほとんど中身のないものだったので驚いた経験があります。単調な審理が一定期間続き原告・被告双方の意見が落ちついてくると、それらを机上の空論で終らせないために互いに「証人」を登場させて審理をおこなっていくわけです。これがテレビで良く見る裁判風景であり、これが裁判の醍醐味の一つでしょう。なぜ今回、Yさんの裁判の傍聴記を書いているかというと・・・・・・。
そうなんです! やっと裁判が証人尋問に突入したのです。
午前中にYさんの原告本人尋問。午後に被告側証人二人の尋問がありました。私は午前中原告本人尋問の主尋問部分だけの傍聴しかできませんでした。尋問には主尋問(原告側弁護団からの質問)と反対尋問(被告側からの質問)があります。傍聴者が多数いて、任意で交代をしました。
Yさんは主尋問の最後に、弁護士から最後に言いたいことを述べてくださいと言われると、「ここまでこれたのは裁判所の皆さん、応援してくださった方々がいてくださったからです。ありがとうございました」と述べておられました。
裁判終了後の報告集会でYさんは「ここまでくるまで本当にヘロヘロになることもありましたが、弁護団の先生はじめ、ご支援くださった皆様のおかげです」と涙ながらに話され、Yさんはじめご家族の方々の肉体的・精神的なしんどさが私が想像していた以上であったことを痛感しました。
秋には結審し、来年には間違いなく勝訴判決が言い渡されるはずです! 思い込みではなく、この裁判の裁判長は他のアスベスト裁判でも被害者の意をくみ取ってくださる傾向があるのです。
引き続き、ご注目・ご支援をお願いします。
日本と戦争
すでに日付が変更されてしまいましたが、昨日のNHKクローズアップ現代で「イラク戦争を問うー英国・検証の波紋ー」が放送されていたのでみることにしました。
ざっと内容を説明すると、アメリカ主導のイラク戦争にイギリスはフランスやドイツが反対する中、国連安保理の承認がないまま無批判に軍隊を派遣してしまった。イギリス軍では200名近い軍人の死亡や莫大な税金が使用された。昨年(2009年)からイラク戦争突入に至った経緯を検証するため(決して特定の個人の犯罪性を問うものではなく)、独立調査委員会をたちあげて当時の首相や政府意思決定に関わった関係者から公開で聞き取り調査をおこなうなどの作業がなされている。それらはインターネットサイトにおいてすべて公開され、すでに80人以上からの聞き取り調査をしている。それらも含めた調査結果報告は早ければ年内に出される予定である、というものでした。
2001年9月、私は中学3年生でした。当時、放送していたタモリのジャングルテレビ(だったかな?)をみていると突然、映像が変わって、飛行機がビルに追突している映像が流れました。しばらくすると別の飛行機がさらに追突。あのときの私は9・11の衝撃よりも、観賞途中だったテレビ番組がいつ再開するのか、再放送はあるのかということの方で頭がいっぱいでした。それから世界はしだいにさわがしくなって、2003年にアメリカがイラクに空爆を開始。私はテレビでみていたと思います。
ただ、いずれも事の重大性がわからず、「よくわからないけど何か結構たいへんなことが起きているんだな」という程度の認識だったと思います。
大学に入り、お世話になった教授が口を酸っぱくして「戦争」に対する認識を深めるように言っていたことから私は9・11やイラク戦争をはじめ、日本の第二次世界大戦を考えるようになりました。教授は単に左翼的な思想から過去の戦争体験などを観念的に学び護憲などの意味を学生に学ばせるといった類の指導ではなく、現代においてもあふれている戦争へ進みかねない要素があり、そのような要素を感じ取る能力を過去の経験から学ぶ大切さを説かれていたのだと思います。
確かに「憲法9条を守ろう」といった類のスローガンは間違っていないし、私も同じ意思を持っていますが、それを声高に叫んでいるだけでは思考停止状態に陥り、敏感さに欠ける危険性があると思っています。
さて、私が今日のクロ現(NHKの記者さんはこのように略すのです。)を取り上げたのは、日本では何らイラク戦争への関与に関する公的な総括(言葉が古いですかね?)がなされていないことの不満があるからです。私は専門家ではないですから、イラク戦争の経緯や日本の関与に精通しているわけではありません。ただ、間違いなく日本はイラクに自衛隊を送りアメリカ軍の兵士を戦闘地域などに移送し、昨年も話題になっいたアメリカ軍へのエネルギー供給などを事の本質を顧みず無批判におこなってきた事実があります。イラク戦争への加担の重大性を十分に検討することなく当時の小泉首相はアメリカに手を貸した、と認識しています。
私はどんな形にしろ日本がイラク戦争への間違った関与をしたことは明らかだと思いますが、それが多くの国民の、また多数の国会議員の認識だと思いますが、私の知る限り検証作業が公的に日本ではおこなわれていません。
沖縄の普天間基地移設問題の際にも、現在に至っても日米安保の問題が国会で真剣に議論された経過がありません。アメリカの番犬となって世界の戦争に関与してきた約半世紀の検証をしていかなければ、日米安保を真剣に考えていかなければ、日本は再び大きな過ち(私は第二次世界大戦における日本政府の方針を批判する立場です)を犯す危険性があります。
戦争検証をできるチャンスはいまの政治情勢で十分にあると思います。政治家任せにせず、国民の意思を政治に反映させるよう一人ひとりが頑張りましょう!
ざっと内容を説明すると、アメリカ主導のイラク戦争にイギリスはフランスやドイツが反対する中、国連安保理の承認がないまま無批判に軍隊を派遣してしまった。イギリス軍では200名近い軍人の死亡や莫大な税金が使用された。昨年(2009年)からイラク戦争突入に至った経緯を検証するため(決して特定の個人の犯罪性を問うものではなく)、独立調査委員会をたちあげて当時の首相や政府意思決定に関わった関係者から公開で聞き取り調査をおこなうなどの作業がなされている。それらはインターネットサイトにおいてすべて公開され、すでに80人以上からの聞き取り調査をしている。それらも含めた調査結果報告は早ければ年内に出される予定である、というものでした。
2001年9月、私は中学3年生でした。当時、放送していたタモリのジャングルテレビ(だったかな?)をみていると突然、映像が変わって、飛行機がビルに追突している映像が流れました。しばらくすると別の飛行機がさらに追突。あのときの私は9・11の衝撃よりも、観賞途中だったテレビ番組がいつ再開するのか、再放送はあるのかということの方で頭がいっぱいでした。それから世界はしだいにさわがしくなって、2003年にアメリカがイラクに空爆を開始。私はテレビでみていたと思います。
ただ、いずれも事の重大性がわからず、「よくわからないけど何か結構たいへんなことが起きているんだな」という程度の認識だったと思います。
大学に入り、お世話になった教授が口を酸っぱくして「戦争」に対する認識を深めるように言っていたことから私は9・11やイラク戦争をはじめ、日本の第二次世界大戦を考えるようになりました。教授は単に左翼的な思想から過去の戦争体験などを観念的に学び護憲などの意味を学生に学ばせるといった類の指導ではなく、現代においてもあふれている戦争へ進みかねない要素があり、そのような要素を感じ取る能力を過去の経験から学ぶ大切さを説かれていたのだと思います。
確かに「憲法9条を守ろう」といった類のスローガンは間違っていないし、私も同じ意思を持っていますが、それを声高に叫んでいるだけでは思考停止状態に陥り、敏感さに欠ける危険性があると思っています。
さて、私が今日のクロ現(NHKの記者さんはこのように略すのです。)を取り上げたのは、日本では何らイラク戦争への関与に関する公的な総括(言葉が古いですかね?)がなされていないことの不満があるからです。私は専門家ではないですから、イラク戦争の経緯や日本の関与に精通しているわけではありません。ただ、間違いなく日本はイラクに自衛隊を送りアメリカ軍の兵士を戦闘地域などに移送し、昨年も話題になっいたアメリカ軍へのエネルギー供給などを事の本質を顧みず無批判におこなってきた事実があります。イラク戦争への加担の重大性を十分に検討することなく当時の小泉首相はアメリカに手を貸した、と認識しています。
私はどんな形にしろ日本がイラク戦争への間違った関与をしたことは明らかだと思いますが、それが多くの国民の、また多数の国会議員の認識だと思いますが、私の知る限り検証作業が公的に日本ではおこなわれていません。
沖縄の普天間基地移設問題の際にも、現在に至っても日米安保の問題が国会で真剣に議論された経過がありません。アメリカの番犬となって世界の戦争に関与してきた約半世紀の検証をしていかなければ、日米安保を真剣に考えていかなければ、日本は再び大きな過ち(私は第二次世界大戦における日本政府の方針を批判する立場です)を犯す危険性があります。
戦争検証をできるチャンスはいまの政治情勢で十分にあると思います。政治家任せにせず、国民の意思を政治に反映させるよう一人ひとりが頑張りましょう!
2010年6月7日月曜日
環境・公害運動は今後、どれだけメディアを有効に使えるか
たいしたことは書きませんが、最近、TwitterやUSTREAM、UTUBEなど何ていうんでしょうか?そんな類のメディアに興味を持っています。まだぜんぜん素人なので使いこなせてはいません。ブログもその一つです。
若者風に言うと最近のそれらの流れは大激流で(ifoneやipadの登場が大きいと思いますが)、活動家(英語で言うと、アクティビストと言うようでそちらの言い方のほうがかっこ良いですが)としてはこの流れに乗っていかないと時代遅れの運動になっていくと危機感を持っています。
そんなんで今、一生懸命、いろいろネットをいじって新しいものを探したりしています。今日は全然べつの件で本屋に立ち寄ったところTwitter関係の本を5冊も買ってしまいました。本を買うと安心感と満足感が得られるという悪い癖があります。週刊金曜日は日米安保の問題がらみでの購入です。
活動家の先輩方の中には安易に時代の流れに乗ることを毛嫌いしたり、Twitterなど馬鹿にする人もいるかもしれませんが、要はそれらをどのように上手く組み合わせて運動に取り入れていくかが大切になってくるのだと思います。私はまだ全然、使いこなせていませんが必ず、メディアの高度な活用は次世代の活動家に求められる課題になってくる(いや、もうなっているかも)と思います。
一年前の6月6日
一日遅くなりましたが、昨年6月6日の出来事を少しだけ記します。
昨年の6月6日の未明に大阪・泉南地域に住んでいたアスベスト患者さん(以下、Sさん)が亡くなりました。私にとって、自分が知っているアスベスト患者さんの中ではじめての死亡者が出たという、かなりショッキングな出来事でした。
前日、5日の朝。他のアスベスト患者さんの関係者からSさんの具合が悪く、病院に行っても奥様も会ってくれないので病院にお見舞いに行ってほしいと電話がありました。私は学生時分から患者さんたちとお付き合いしていて、Sさんの奥様とも顔なじみであり、これといった肩書などありませんでしたので色んなことが話やすい立場にあったのだと思います。私は出張で東京にいましたがお昼に仕事が終わってすぐに飛行機に乗ってSさんが入院されていた和歌山の病院に直行しました。
Sさんの奥さんは日頃、明るくとても元気の良い方でしたが、私が病室のドアを開けてベットの横で座っている奥様の表情をみたときはまるで別人のように力が抜けきっていました。Sさんはすでに意識のない状態で酸素吸入器をされながら、ベットに寝ていました。奥様と顔を合わせるなり、互いに泣き出していました。
小一時間のお見舞いを終えて、その日は家に帰りました。日付が変わって6月6日の午前2時半くらいだったと思います。奥様から電話があり、「ありがとうね」と第一声がありました。最初はお見舞いのお礼の電話だと思いましたが、その後、亡くなられたことを伝えられました。何をどうしてよいかわからず、私が何かをしたところで何も変わらないのですが、とにかく外に出てタクシーを拾って泉南市にあるSさんの自宅に向かいました。
私がSさんの家についたころ、Sさんも病院から運ばれてこられたところでした。
奥様も含めて何人かのお身内の方とお話をさせていただき、私は身内でもなんでもないのでお顔を拝見させていただくことは控えました。今考えるとなにも考えずご自宅にお伺いしたことが恥ずかしいばかりです。
もうあれから一年かという感じで、私にとっては泉南アスベスト国賠の判決以上の衝撃があったように思います。一年前の6月6日前後に、私はかなり衝撃的なご家族の苦しみの一端を見て、亡くなられあと私はSさんの死を頭の中で可能な限り意識しないようにしました。本当につらくて、悲しくて、それらから解放されるには意識しないことが一番だと思い、私が死の直前・直後に見たもの感じたものは思い返そうとしませんでした。
まだまだ怖くて、あのときのこと、Sさんの死と真正面から向き合える余裕はありません。
奥様はSさんの死後、泉南アスベスト国賠訴訟に遺族原告と加わりました。今では原告団を引っ張っていく一人として、いつも涙ながらに力強くSさんの無念を訴えておられます。
アスベスト問題の活動に携わっている私としては、患者さんとご家族と向き合う努力を今後も続けていきたいと思います。すごくしんどい面もありますが、それが活動の原点だと思っています。
昨年の6月6日の未明に大阪・泉南地域に住んでいたアスベスト患者さん(以下、Sさん)が亡くなりました。私にとって、自分が知っているアスベスト患者さんの中ではじめての死亡者が出たという、かなりショッキングな出来事でした。
前日、5日の朝。他のアスベスト患者さんの関係者からSさんの具合が悪く、病院に行っても奥様も会ってくれないので病院にお見舞いに行ってほしいと電話がありました。私は学生時分から患者さんたちとお付き合いしていて、Sさんの奥様とも顔なじみであり、これといった肩書などありませんでしたので色んなことが話やすい立場にあったのだと思います。私は出張で東京にいましたがお昼に仕事が終わってすぐに飛行機に乗ってSさんが入院されていた和歌山の病院に直行しました。
Sさんの奥さんは日頃、明るくとても元気の良い方でしたが、私が病室のドアを開けてベットの横で座っている奥様の表情をみたときはまるで別人のように力が抜けきっていました。Sさんはすでに意識のない状態で酸素吸入器をされながら、ベットに寝ていました。奥様と顔を合わせるなり、互いに泣き出していました。
小一時間のお見舞いを終えて、その日は家に帰りました。日付が変わって6月6日の午前2時半くらいだったと思います。奥様から電話があり、「ありがとうね」と第一声がありました。最初はお見舞いのお礼の電話だと思いましたが、その後、亡くなられたことを伝えられました。何をどうしてよいかわからず、私が何かをしたところで何も変わらないのですが、とにかく外に出てタクシーを拾って泉南市にあるSさんの自宅に向かいました。
私がSさんの家についたころ、Sさんも病院から運ばれてこられたところでした。
奥様も含めて何人かのお身内の方とお話をさせていただき、私は身内でもなんでもないのでお顔を拝見させていただくことは控えました。今考えるとなにも考えずご自宅にお伺いしたことが恥ずかしいばかりです。
もうあれから一年かという感じで、私にとっては泉南アスベスト国賠の判決以上の衝撃があったように思います。一年前の6月6日前後に、私はかなり衝撃的なご家族の苦しみの一端を見て、亡くなられあと私はSさんの死を頭の中で可能な限り意識しないようにしました。本当につらくて、悲しくて、それらから解放されるには意識しないことが一番だと思い、私が死の直前・直後に見たもの感じたものは思い返そうとしませんでした。
まだまだ怖くて、あのときのこと、Sさんの死と真正面から向き合える余裕はありません。
奥様はSさんの死後、泉南アスベスト国賠訴訟に遺族原告と加わりました。今では原告団を引っ張っていく一人として、いつも涙ながらに力強くSさんの無念を訴えておられます。
アスベスト問題の活動に携わっている私としては、患者さんとご家族と向き合う努力を今後も続けていきたいと思います。すごくしんどい面もありますが、それが活動の原点だと思っています。
2010年6月5日土曜日
細く長く
忘れないうちに、ということで報告しておきます。
泉南アスベスト国賠訴訟の大阪地裁判決が出た後に約二週間、東京の厚生労働省・環境省前(二つの省は同じビルに入っています)や総理官邸前、国会議員会館前などで座り込みの宣伝行動をしていました。
国をうごかしている中心地(本当はこういう言い方はしたくないのですが)ですので私たち以外にもたくさんの方が宣伝行動をしています。たとえば、B型肝炎訴訟原告団、中国政府から迫害を受けているらしい法輪功という気功団体、外国人参政権反対の団体(私から言えば右翼です。普天間問題にまったく首を突っ込まない右翼はまったくの根性無しですね)などが活動をしていました。
そんな中、私が少し前から目をつけていた方々もおられ、少し話をすることもできました。
それが「普天間基地撤去」を求めて議員会館の前で座り込みをしていたおばあちゃんたちです。
以前、私が議員会館でロビイングをしていたときから認知していましたが、あるとき国会図書館に立ち寄った帰り道でこのおばあちゃんたちを見ました。結構、大きな荷物だと思うのですが、あのお年寄りがよく押しているカート?の上に荷物を載せながら帰る途中でした。
労働組合や右翼団体の運動と比べればもの規模もある種の実行力もすごく小さな運動です。
でも私はあのとき、「自分もジジイになったとき、杖をつきながらでも、どんな小さな運動でもいいから運動にたずさわっていたい!」と思いました。間違いなく、おばあちゃんたちは自分の意思に基づいて意思表示の活動をしています。どんな形でもいいから一人ひとりが意思表示をすることが民主主義確立の第一歩だと思います。老体ながら運動を続けているその姿勢に頭が下がりました。
そんな気になっていたおばあちゃんたちのもとへ泉南アスベストの活動の途中(すぐ近くでお互いに座り込みをしていましたので)にあいさつにいきました。
「辺野古(筆者注ー沖縄の一地域。普天間基地撤去後の移設先とされている)の人が東京で座り込みをしたいけど現実的になかなかできないって言ってたんです(筆者注ー辺野古でも座り込みをしているから)。それを聞いたとき、辺野古の基地移設の問題は東京に住んでいる私たちの問題でもある、と思って座り込みをしているんです」と話してくださいました。
誰でもそんなかっこ良い言葉は結構、言えると思うのですが実際に行動に移している姿勢が大切であり尊敬してしまいます。
おばあちゃんたちは毎週月・木に議員会館の前で座り込みをしています。通りかかったときはぜひご声援を!
なんと一人のおばあちゃんとは日本消費者連盟の会員同士ということが発覚しました。 死ぬまで活動家。そんな自分でありたいと思います。



泉南アスベスト国賠訴訟の大阪地裁判決が出た後に約二週間、東京の厚生労働省・環境省前(二つの省は同じビルに入っています)や総理官邸前、国会議員会館前などで座り込みの宣伝行動をしていました。
国をうごかしている中心地(本当はこういう言い方はしたくないのですが)ですので私たち以外にもたくさんの方が宣伝行動をしています。たとえば、B型肝炎訴訟原告団、中国政府から迫害を受けているらしい法輪功という気功団体、外国人参政権反対の団体(私から言えば右翼です。普天間問題にまったく首を突っ込まない右翼はまったくの根性無しですね)などが活動をしていました。
そんな中、私が少し前から目をつけていた方々もおられ、少し話をすることもできました。
それが「普天間基地撤去」を求めて議員会館の前で座り込みをしていたおばあちゃんたちです。
以前、私が議員会館でロビイングをしていたときから認知していましたが、あるとき国会図書館に立ち寄った帰り道でこのおばあちゃんたちを見ました。結構、大きな荷物だと思うのですが、あのお年寄りがよく押しているカート?の上に荷物を載せながら帰る途中でした。
労働組合や右翼団体の運動と比べればもの規模もある種の実行力もすごく小さな運動です。
でも私はあのとき、「自分もジジイになったとき、杖をつきながらでも、どんな小さな運動でもいいから運動にたずさわっていたい!」と思いました。間違いなく、おばあちゃんたちは自分の意思に基づいて意思表示の活動をしています。どんな形でもいいから一人ひとりが意思表示をすることが民主主義確立の第一歩だと思います。老体ながら運動を続けているその姿勢に頭が下がりました。
そんな気になっていたおばあちゃんたちのもとへ泉南アスベストの活動の途中(すぐ近くでお互いに座り込みをしていましたので)にあいさつにいきました。
「辺野古(筆者注ー沖縄の一地域。普天間基地撤去後の移設先とされている)の人が東京で座り込みをしたいけど現実的になかなかできないって言ってたんです(筆者注ー辺野古でも座り込みをしているから)。それを聞いたとき、辺野古の基地移設の問題は東京に住んでいる私たちの問題でもある、と思って座り込みをしているんです」と話してくださいました。
誰でもそんなかっこ良い言葉は結構、言えると思うのですが実際に行動に移している姿勢が大切であり尊敬してしまいます。
おばあちゃんたちは毎週月・木に議員会館の前で座り込みをしています。通りかかったときはぜひご声援を!
なんと一人のおばあちゃんとは日本消費者連盟の会員同士ということが発覚しました。 死ぬまで活動家。そんな自分でありたいと思います。



大阪・泉南アスベスト控訴阻止行動終了
ご無沙汰しておりました((+_+))
久しぶりにブログを開いたら、判決後も何度かブログでの報告をしていたのかと気づきました。
ほとんど毎日、朝から晩まで(時には午前0時近くまで)宣伝行動とその準備に忙殺されてました。
ご存じの方も多いと思いますが結果は以下のサイトをご覧ください。私から言えば「勝利か敗北か」と言えば結果的には後者だと私は認識しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100601-00000071-san-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100601-00000021-jijp-soci.view-000
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100602-00000055-jij-soci
今後、新聞資料など整理して総括報告などしていこうかと思います。
いま、私は「控訴断念に至らせるまでいったい何が足りなかったのか」を考えています。それは内的・外的要因を含めてです。弁護団の先生の中から、国の方針が決定され、東京での活動を終えるとき「私たちにできることは全部やった」という発言がありました。このコメントは私から見てもほぼ間違っていないと考えますが、事実として国に控訴断念をさせることができなかった現実もあります。
私から言わせれば、ものすごくすげぇ~ことができるあと一歩のところまで来ていました。残念です。
最後に、「もう仙石さんの顔は見たくもありません」。
by、原告某
久しぶりにブログを開いたら、判決後も何度かブログでの報告をしていたのかと気づきました。
ほとんど毎日、朝から晩まで(時には午前0時近くまで)宣伝行動とその準備に忙殺されてました。
ご存じの方も多いと思いますが結果は以下のサイトをご覧ください。私から言えば「勝利か敗北か」と言えば結果的には後者だと私は認識しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100601-00000071-san-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100601-00000021-jijp-soci.view-000
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100602-00000055-jij-soci
今後、新聞資料など整理して総括報告などしていこうかと思います。
いま、私は「控訴断念に至らせるまでいったい何が足りなかったのか」を考えています。それは内的・外的要因を含めてです。弁護団の先生の中から、国の方針が決定され、東京での活動を終えるとき「私たちにできることは全部やった」という発言がありました。このコメントは私から見てもほぼ間違っていないと考えますが、事実として国に控訴断念をさせることができなかった現実もあります。
私から言わせれば、ものすごくすげぇ~ことができるあと一歩のところまで来ていました。残念です。
最後に、「もう仙石さんの顔は見たくもありません」。
by、原告某
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