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2010年5月24日月曜日

大阪・泉南アスベスト控訴阻止行動第二クールスタート

今週がいよいよ山場でしょう


控訴阻止に向けて原告のみなさんがんばっています。生まれて初めて東京に来る原告さんもいます。

午前中は厚生労働省前で、午後からは衆議院第二議員会館前で座り込みでした。議員会館前では民主党の末松義則議員も応援にかけつけてくださいました。

また、関西労働者安全センターの片岡明彦さんも応援に来てくださりました。


引き続きご支援をお願いします!















2010年5月20日木曜日

5月20日 厚生労働省・環境省前抗議行動

今日は朝9時から抗議行動でした。大変な雨の中、原告のみなさん頑張ってました!

わたしもずぶぬれでしたが、こんな機会はめったにないと雨にたくさんぬれることは受け入れましたw

あしたも朝から同じく9時からです。










大阪・泉南アスベスト国賠訴訟判決

ご存じの方も多いと思いますが、5月19日に大阪・泉南地域のアスベスト紡織業(アスベストを原料に糸や布を作っていた)に従事していた労働者やその家族、工場周辺で農作業をしていて被害を受けた遺族などが被害を受けた責任は国にあったとして2006年5月に提訴した裁判の判決が大阪地方裁判所から言い渡されました。

この訴訟に関わってきた人の多くは「勝訴判決」を喜んでいたと思います。ここまで到達したのは原告団の皆さんの裁判所での被害の訴え、何度も重ねてきた諸団体への要請、街頭での宣伝などの積み重ねの結果であることは間違いありません。また弁護団の皆さんのご苦労は私も間近でみていたのである程度は承知しています。さらに地元で提訴以前から患者さん、ご家族・ご遺族を支えてきた市民の会の皆さんの力が縁の下の力持ちになったとでも言えるのではないでしょうか。関係者の皆様のご苦労に敬意を表します。

ですが、私は昨日の判決を心の底から喜びに代えることはできませんでした。
理由は、3人の原告が敗訴したからです。とくに私にとって2人の原告はアスベスト問題を考える上で重要な意味を持つ方たちであり、特別な思いを寄せていた方たちでした。その二人が裁判所からアスベスト被害者ではないとされました(今日は判決に深く触れるつもりはないですが、二人の原告はアスベストによる病気ではないとされたのです。一人は遺族ですが)。とても喜ぶ気になどなれませんでしたし、裁判所に失望しました。
誤解のないように申し上げておくと、昨日の判決を喜んだ原告・弁護団・支援者・その他の方々を非難しているわけではありません。ごく私的な感想として、「個人的には喜ぶことができなかった」というのが昨日の私が抱いていた嘘偽りのない心情です。

さて、活動家のはしくれとしてはこの状況をどうすれば二人にとってプラスの方向に向けていけるだろうかと考えているしだいです。少なくとも、二人が負けたからといって即控訴だ!などと主張するつもりはありません(そもそも、そんな権限もありませんが)。
判決内容を聞いてしばらくして、最近読んだ湯浅誠さんの論文の内容を思い出しました(それについては前回のブログで紹介しています)。そうすると、司法にも判決を出すのにいくつもの「困難さ、複雑さ、厄介さ」があったのだろうと推察しますし、判決が原告全員の救済を言っていないからと判決そのものを非難する必要もない(1メートル先の目標に到達していないからと言って10センチの進展を非難しているばかりでは物事進んでいきません)、と考えました。
今、言えることは「その二人の原告は裁判所から間違いなく敗訴を言い渡された」ということです。その現実を受け止める一方で、原告団・弁護団が裁判所から獲得した成果があります。その成果をいかに上手くつかって二人の救済につながていくか、いま私はそれを考えています。それは二週間先、一か月先などという具合にスムーズにいく話でもありません。でも、裁判所が開いた道をどれだけ生かすかは原告団しだいです。私も二人のために原告団にできる限りの力を貸したいと思います。
最後は、世論がどこまでこの問題を政府に突き付けていけるか、にかかっていると感じています。

2010年5月18日火曜日

問われているのは誰か、そして何か

最近、湯浅誠「社会運動と政権 いま問われているのは誰か」(『世界』2010年6月号、岩波書店)を読みました。そのきっかけは活動家として色々と考えさせられることが多い関西労働者安全センター事務局ブログで紹介していたのをみたことにはじまります。

関西労働者安全センター事務局ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/koshc2000/MYBLOG/yblog.html

湯浅さんの論文を読んでみると、私が取り組んでいるアスベスト問題が抱えている運動的な問題と重ねて考えさせられました。このブログ本体の題名も湯浅論文を基につけました。論文を読みながら考えていたのは大きく分けて次の二つのことです。
一つは、私がごく短い経験しか持っていなかったがゆえに運動において「霞ケ関と永田町へのアプローチ」(つまり官僚と政治家、そして周辺の人間たちへの働きかけ)が最重要との認識を持っていましたが、そのような意識に傾倒しすぎていた自分への未熟さ。二つ目は、水俣病問題に代表されるようにアスベスト問題においても発生している運動の分裂について。

一つ目の問題においては、湯浅さんは内閣府参与となって政府内部の「複雑さ、困難さ、厄介さ」を垣間みたと述べています。同時に、内閣府参与となる以前は政府内部の「複雑さ、困難さ、厄介さ」を無視して〝政府〝に対抗していたと振り返っています。これまでの私はよくよく考えてみれば政治家(立法)、官僚(行政)が抱える「複雑さ、困難さ、厄介さ」をほとんど無視して、湯浅さんが論文でも述べているように「権力を持っているのだから、本気になればできるはずだ」という非常に安易な理屈付けをして問題を捉えてきてしまったように思います。ある意味、思考停止状態だったとも言えます。
といっても、まだまだそれら「複雑さ、困難さ、厄介さ」を理解してはいませんし、その全体像を捉えている人はいるのか?とも思います。ともあれ、何事もそれらを抱えながら事態は進展し(時には後退もするでしょうが)、距離に例えれば1メートル先に理想があったとしても社会は1ミリずつしか進展せず、劇的な変化も日々の1ミリの刻み重ねから起こるものだと湯浅さんは主張しています。
永田町と霞ヶ関の住人たちが織りなす構造を安易に捉えてきたこと、「複雑さ、困難さ、厄介さ」は運動体内部にも存在していることの再認識、「世論形成」を真剣に考えてこなかったことなど、反省することばかりです。

二つ目の運動の分裂。これについても湯浅さんの指摘は示唆に富むものがあります。深くは述べませんが、「政党からの自立・各政党との対等な関係」「大衆参加の運動づくりへの努力」「1ミリを刻むことへの理解(1メートル先に行っていないからと言って1ミリを刻んだ運動への非難をしないこと)」「各運動団体の結束(融合)への可能性の発見」を意識して今後の活動に取り組んでいきたいところです。
ブログやtwitterをはじめたのは、私がこれまでに経験したことのない運動の開拓の意味もあります。

本日、開始したツイッターはこちら
http://twitter.com/sawadyi

ツイッターでは行政の審議会などの「リアルタイムつぶやき」とでも言うのでしょうか、をやりたいと考えています。その第一弾を金曜日の21日の午後3時からの石綿健康被害小委員会で実施しようと思います。興味があればぜひ、つぶやいてください。私もたくさんつぶやきます。

話がずれましたがまとめると、自分がかかわるあらゆる問題において様々な局面において社会を構成している「一人ひとり」が「何かしら」を問われていること忘れてはいけないということでしょうか。
前述の安全センターブログでは明日、判決が出る大阪・泉南アスベスト国家賠償裁判について、「判決日まで、マスコミの報道量も増えますが、はるかに重要なのは判決後です。国家の責任が問われた裁判とは、その構成員である国民の責任ある行動を求めた裁判だと思います」、とありました。
問題解決に一生懸命になりながらも、いろんな側面から捉えられる自分の立ち位置を忘れたくはないものです。

まずは、とりあえず

どうも、はじめまして。

といっても、誰を対象にあいさつしているのかわかりませんが・・・。それがネットの世界と言えばそうですが。ブログを始めることにしました。
なぜかと言えば、一言で言うならば、「自己表現の訓練をしたい」といったところでしょうか。

大学を卒業して早一年。明らかに文章を書く機会が減ってしまいました。また、昨今の政治の停滞ぶりもあって(一概に鳩山政権を非難するつもりは毛頭ないですが)、社会情勢に対して細かく自分の意思表示をしたいと思っているし、自分がその時点において何を考えていたのかを振り返ることもできるし、自分の頭の中を文字に起こしてこそ整理されると思っています。

どうぞよろしく。