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2010年5月20日木曜日

大阪・泉南アスベスト国賠訴訟判決

ご存じの方も多いと思いますが、5月19日に大阪・泉南地域のアスベスト紡織業(アスベストを原料に糸や布を作っていた)に従事していた労働者やその家族、工場周辺で農作業をしていて被害を受けた遺族などが被害を受けた責任は国にあったとして2006年5月に提訴した裁判の判決が大阪地方裁判所から言い渡されました。

この訴訟に関わってきた人の多くは「勝訴判決」を喜んでいたと思います。ここまで到達したのは原告団の皆さんの裁判所での被害の訴え、何度も重ねてきた諸団体への要請、街頭での宣伝などの積み重ねの結果であることは間違いありません。また弁護団の皆さんのご苦労は私も間近でみていたのである程度は承知しています。さらに地元で提訴以前から患者さん、ご家族・ご遺族を支えてきた市民の会の皆さんの力が縁の下の力持ちになったとでも言えるのではないでしょうか。関係者の皆様のご苦労に敬意を表します。

ですが、私は昨日の判決を心の底から喜びに代えることはできませんでした。
理由は、3人の原告が敗訴したからです。とくに私にとって2人の原告はアスベスト問題を考える上で重要な意味を持つ方たちであり、特別な思いを寄せていた方たちでした。その二人が裁判所からアスベスト被害者ではないとされました(今日は判決に深く触れるつもりはないですが、二人の原告はアスベストによる病気ではないとされたのです。一人は遺族ですが)。とても喜ぶ気になどなれませんでしたし、裁判所に失望しました。
誤解のないように申し上げておくと、昨日の判決を喜んだ原告・弁護団・支援者・その他の方々を非難しているわけではありません。ごく私的な感想として、「個人的には喜ぶことができなかった」というのが昨日の私が抱いていた嘘偽りのない心情です。

さて、活動家のはしくれとしてはこの状況をどうすれば二人にとってプラスの方向に向けていけるだろうかと考えているしだいです。少なくとも、二人が負けたからといって即控訴だ!などと主張するつもりはありません(そもそも、そんな権限もありませんが)。
判決内容を聞いてしばらくして、最近読んだ湯浅誠さんの論文の内容を思い出しました(それについては前回のブログで紹介しています)。そうすると、司法にも判決を出すのにいくつもの「困難さ、複雑さ、厄介さ」があったのだろうと推察しますし、判決が原告全員の救済を言っていないからと判決そのものを非難する必要もない(1メートル先の目標に到達していないからと言って10センチの進展を非難しているばかりでは物事進んでいきません)、と考えました。
今、言えることは「その二人の原告は裁判所から間違いなく敗訴を言い渡された」ということです。その現実を受け止める一方で、原告団・弁護団が裁判所から獲得した成果があります。その成果をいかに上手くつかって二人の救済につながていくか、いま私はそれを考えています。それは二週間先、一か月先などという具合にスムーズにいく話でもありません。でも、裁判所が開いた道をどれだけ生かすかは原告団しだいです。私も二人のために原告団にできる限りの力を貸したいと思います。
最後は、世論がどこまでこの問題を政府に突き付けていけるか、にかかっていると感じています。

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