また投稿の間があいてしまった・・・。反省。
Kさんのケースの続きです。
ポイントとしてはKさんの旦那さんはアスベストを直接あつかっていないのに死亡時には肺がんと診断されて42歳で死亡した、ということです。ちなみに公平性を担保するために言うと、旦那さんは20歳くらいから一日に2,30本のたばこを吸っていました。
さて、旦那さんが亡くなって、Kさん一家の収入は無くなります。1997年に亡くなった時点のKさん一家の家族構成は
①Kさん
②長女―15歳
③次女―12歳
④長男―9歳
⑤次男―7歳
さて大変です。収入が途絶えて子ども4人を育てなくてはならなくなった。Kさんはこの状況をどう乗り切ったのか・・・。まず預貯金の切り崩し。厚生年金の遺族年金がKさんに現在も月換算で約9万円支給、子どもには一人につき18歳になるまで月換算で約1万円が支給。
とうことで大雑把に言うと月10万円の社会保障と預貯金で生活費をまかなっていたことになります。子ども4人を育てるのに。幸い、持家だったことでローン・家賃の支払いはありませんでした。
また、子どもの進学費用なども学資保険に加入していたこともあり、なんとかしのげたようです。この保険加入にもいろいろ逸話があって長女は夫婦で加入していたのですが、次女の分は義理の母が旦那さんにして支払っていてくれていたり、長男の分はKさんはお金がないからは入れないと抵抗していたのに旦那さんが強引に入ったりと、限定的・結果的に言うと良かった面もありました。次男については加入していないので何の補助もありませんでした。
そんなこんなで、Kさんのお子さんたちは立派に現在は社会人になっていますが、長女は高校進学してすぐにアルバイトをはじめたり、部活動の加入を断念したり、家計の状況に左右されていたことがうかがえます。ほかのお子さんたちについてもおそらく日常のさまざまな生活が制限されていたことが想像できます。
そうそう、長女は結婚するらしいですが、それに関わる資金援助などもKさんはできないと言ってました。
2006年3月にアスベスト救済法ができて遺族一時金と特別葬祭料合わせて約300万円がKさんには支払われました。この支給決定にあたって国は旦那さんの病気を悪性中皮腫と認定しました。つまり死亡診断の肺がんは誤りで、アスベストと関連した生活歴とを勘案するとほぼ100%、アスベストが原因と想像できます。
ただ、2000年からKさんは旦那さんの死亡はアスベストとの関連があるということで現在のリゾート・ソリューションと裁判をしていましたが、最高裁判所でアスベストとの関係を否定してしまわれています。これは時期的な問題や司法制度の関係などいろいろ言いたいことはありますが、少々息切れ。
みなさんに想像してほしいのは42歳で家計を支えていた人間がいなくなって4人の子供を育てることがどういうことか、42歳で旦那さんをなくしたKさんはじめお子さんたちの精神的なつらさ、そこから連鎖的に発生する病気や性格の変化など、一面では見えにくい問題がさまざまに生じてくるということです。
で、最後に言いたいのが、これで300万円が妥当なの?っていうことです。たとえば労災であればもっと手厚い支給なるし、そうなれば会社から少なくとも数千万上積み補償があるし・・・。
あいだ置きすぎて歯切れわるくなりました。すみません。少しでも考えていただく材料になれば幸いです。
Kさんごめんなさい。
何事も、いきなり劇的な変化を示すわけではありません。思い通りに物事が進まないことによって歯がゆい気持ちになることもあります。しかし、わずかな変化をしっかり受け止め、一方で満足することなく、小さな進歩の積み重ねによる大きな変化を実感したいと思っています。なお、このタイトルは湯浅誠さんの論文から感じたことを参考に作成しています。
2010年8月25日水曜日
2010年8月18日水曜日
これがアスベスト遺族の現状(Kさんのケース2)
さて続き。
前回の投稿で主張したのはアスベスト被害の救済に格差があるということ。
そしてリゾートトソリューションのアスベスト問題の社会的な説明はクボタに比べておろそか、ということ。
Kさん例の続き
Kさんの旦那さんの病気の発見、病状は以下のような経過をたどりました。
1996年(平成8)7月くらいから風邪をひき、咳がとまらなくなった。その2、3年前から咳が頻繁に出ていた。1996年8月16日に大宮の某病院を受診。「肺がぼろぼろ」と医師に言われる。肺がんとはこの時点では告知されていなかった。それ以前の8月の最初くらいに海に遊びにいっていたことを告げると、「よくこの身体で海にいけたな」とも言われた。のちにわかったことだが、初診時のカルテに「間接ばくろの疑いあり」と記載されていた(間接ばくろ、については後で説明なう!)。実は初診日の4、5年くらい前に家族で行った山登りのときから息が苦しそうだった、とKさん。同年9月20日ごろ同病院に検査入院。肺がんの可能性があると指摘される。
同年12月末に、はじめていく東京の某病院を受診(なお、これ以後は東京の同病院を継続受診)。ここでの検査の結果、リンパにも転移しており手術はできないと告げられる。この時点で「肺がんか中皮腫(ちゅうひしゅ)」といわれた。12月の診断結果後は1カ月に1回くらい通院。その間も仕事は続け、職場のあった東京・荒川まで通っていた。1997年の5月の連休明けからは2、3日に一回は放射線治療をしていた(左の肺にがんがあると指摘されていた。左わきの下からかたいものがでてきていた。そこを放射線治療していた。痛みがすこしやわらぐ感じがあったので継続)。
同年6月4日に通院すると心臓に水がたまっていることを指摘される。この時点から死亡まで入院。同年9月27日死亡。死亡診断書には「肺がん」と書かれていた。
上記のとおりKさんの旦那さんは1997年に死亡しました。そこで、「間接ばくろ」のことを説明だう!ちなみに「ばくろ(曝露)」とは何かの物質を吸引するようなことを指します(悪い意味合いで使用される)。
前回の報告にも記したように旦那さんの父親は20数年間アスベストを扱う工場で働いていました。
でも、この旦那さんは働いていない・・・。
関連があるとして疑われるのは、父親が作業現場から持ち帰ってきた作業着にアスベストが付着していて、それを洗濯前に何らかの形で接触したか、洗濯作業時に接触したか、その結果アスベストを吸引したことが考えられます。実際に同様の事例は全国各地で起こっていて(だから家事をしていた女性にも被害者がいます)、Kさんによれば旦那さんは「義父が作業で使ったマスクを家に持ってきて、風呂敷に入れて廊下においていたものを幼少時にふざけて着用していた経験がある」とのことです。
本人は仕事で直接アスベストを扱っていないけど、家族などがアスベストを扱っていて何らかの形をとおして被害にあうケースを「間接ばくろ」とこの業界では分類しています。
ちなみにその他のばくろの種類、アスベストを仕事で直接扱っていた「直接ばくろ(職業ばくろ)」、本人や家族はアスベストを扱っていないのに居住地や通勤先にアスベスト工場があり、そこから大気中に放出されたアスベストを吸引してしまった「環境曝露」(場合によっては「近隣ばくろ」ともいいます。工場が家からものすごく近かった場合など)があります。
続きはまた。
Kさんの旦那さんはアスベストを直接あつかっていないのにアスベスト被害で40代にして亡くなった、ということだけ押さえておいてください。
前回の投稿で主張したのはアスベスト被害の救済に格差があるということ。
そしてリゾートトソリューションのアスベスト問題の社会的な説明はクボタに比べておろそか、ということ。
Kさん例の続き
Kさんの旦那さんの病気の発見、病状は以下のような経過をたどりました。
1996年(平成8)7月くらいから風邪をひき、咳がとまらなくなった。その2、3年前から咳が頻繁に出ていた。1996年8月16日に大宮の某病院を受診。「肺がぼろぼろ」と医師に言われる。肺がんとはこの時点では告知されていなかった。それ以前の8月の最初くらいに海に遊びにいっていたことを告げると、「よくこの身体で海にいけたな」とも言われた。のちにわかったことだが、初診時のカルテに「間接ばくろの疑いあり」と記載されていた(間接ばくろ、については後で説明なう!)。実は初診日の4、5年くらい前に家族で行った山登りのときから息が苦しそうだった、とKさん。同年9月20日ごろ同病院に検査入院。肺がんの可能性があると指摘される。
同年12月末に、はじめていく東京の某病院を受診(なお、これ以後は東京の同病院を継続受診)。ここでの検査の結果、リンパにも転移しており手術はできないと告げられる。この時点で「肺がんか中皮腫(ちゅうひしゅ)」といわれた。12月の診断結果後は1カ月に1回くらい通院。その間も仕事は続け、職場のあった東京・荒川まで通っていた。1997年の5月の連休明けからは2、3日に一回は放射線治療をしていた(左の肺にがんがあると指摘されていた。左わきの下からかたいものがでてきていた。そこを放射線治療していた。痛みがすこしやわらぐ感じがあったので継続)。
同年6月4日に通院すると心臓に水がたまっていることを指摘される。この時点から死亡まで入院。同年9月27日死亡。死亡診断書には「肺がん」と書かれていた。
上記のとおりKさんの旦那さんは1997年に死亡しました。そこで、「間接ばくろ」のことを説明だう!ちなみに「ばくろ(曝露)」とは何かの物質を吸引するようなことを指します(悪い意味合いで使用される)。
前回の報告にも記したように旦那さんの父親は20数年間アスベストを扱う工場で働いていました。
でも、この旦那さんは働いていない・・・。
関連があるとして疑われるのは、父親が作業現場から持ち帰ってきた作業着にアスベストが付着していて、それを洗濯前に何らかの形で接触したか、洗濯作業時に接触したか、その結果アスベストを吸引したことが考えられます。実際に同様の事例は全国各地で起こっていて(だから家事をしていた女性にも被害者がいます)、Kさんによれば旦那さんは「義父が作業で使ったマスクを家に持ってきて、風呂敷に入れて廊下においていたものを幼少時にふざけて着用していた経験がある」とのことです。
本人は仕事で直接アスベストを扱っていないけど、家族などがアスベストを扱っていて何らかの形をとおして被害にあうケースを「間接ばくろ」とこの業界では分類しています。
ちなみにその他のばくろの種類、アスベストを仕事で直接扱っていた「直接ばくろ(職業ばくろ)」、本人や家族はアスベストを扱っていないのに居住地や通勤先にアスベスト工場があり、そこから大気中に放出されたアスベストを吸引してしまった「環境曝露」(場合によっては「近隣ばくろ」ともいいます。工場が家からものすごく近かった場合など)があります。
続きはまた。
Kさんの旦那さんはアスベストを直接あつかっていないのにアスベスト被害で40代にして亡くなった、ということだけ押さえておいてください。
これがアスベスト遺族の現状(Kさんのケース1)
よし、ここ数日、日曜日に野球をして身体を少し激しく動かした影響か、疲れ気味だったが今日は被害を伝える作業をする!そしてこれは厚生労働省や環境省の政務三役の先生にも読んでもらいたい。ちなみに大谷信盛政務官にはツイッターでフォローしてほしいと要望を出したがいまだフォローされていない(おそらく今後もないだろう)。
でもこのブログはツイッターで大谷先生と厚生労働省の山井政務官には名前をつけてツイートして案内しているので見ている可能性はある。だからいつまでも伝える!
さて、今回紹介したいのは埼玉県に住んでいるKさん。先週の木曜日にインタビューをした(アウトプットがおそい!すみません(+_+)×3)
Kさんの基本的な情報をまずは提示。
・Kさんはアスベスト被害者の遺族。被害を受けたのは旦那(1997年に死亡。享年42歳)。旦那の父(以下、義理の父)もアスベストが原因の肺がんで死亡(1983年死亡。55歳)。
・義理の父は埼玉県大宮にあった日本エタニットパイプ(株)大宮工場(現・リゾートソリューション)の従業員として20数年間働いた。
・Kさんの旦那さんにアスベストを直接扱う職歴はなし。
さて、ここでまず皆さんに第一に伝えたいのが、多くのアスベスト患者さんが頻繁に訴えている「救済格差」が生じている問題だということ。
端的に言えば、義理の父は会社も加害責任を認めて企業独自の補償をしましたが、旦那さんについては「従業員ではない」ことが理由とされ、会社から補償はありません。少し脱線すると、リゾートソリューションという企業は非常に不誠実ですね。はっきり言います!不誠実です。
何をもとにこれだけ強く言うかといえば、クボタとの対応が全然ちがいます(別にクボタが立派と言うつもりはない)。クボタは定期的にどの程度の被害者に補償をしてきたのかを社会に向けて提示しています。
一方でリゾートソリューションは2009年の9月に高松の工場(エタニットパイプは大宮の他に高松と鳥栖にも工場がありました)で生じたアスベスト被害への賠償を高松地裁で命じられ、地裁判決を原告・被告双方が受け入れました(厳密には判決に基づいた形で別途企業補償を上積みさせて双方の話し合いによって和解)。この時点で社会へ向けて一定の報告をすべきですが、2008年で報告の提示が終わっており、この件については何も触れられていません。むしろ、2008年の報告内容も調査もせずにあたかも自分たちには過失がなかったかのような内容。こういう会社は社会から見捨てられてしかるべきですね(私はアスベスト被害を出したからここで怒っているのではなく、そのことに向き合っていない姿勢を非難しています)。以下で事実確認をしていただければと思います。
リゾートソリューションのHP
http://www.resol.jp/resol/info/index.html
クボタHP
http://www.kubota.co.jp/kanren/index.html
旧エタパイじん肺訴訟
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/article.aspx?id=20090915000103
というような体質の会社とKさんは争っていくことになるのですが、続きはまた。
でもこのブログはツイッターで大谷先生と厚生労働省の山井政務官には名前をつけてツイートして案内しているので見ている可能性はある。だからいつまでも伝える!
さて、今回紹介したいのは埼玉県に住んでいるKさん。先週の木曜日にインタビューをした(アウトプットがおそい!すみません(+_+)×3)
Kさんの基本的な情報をまずは提示。
・Kさんはアスベスト被害者の遺族。被害を受けたのは旦那(1997年に死亡。享年42歳)。旦那の父(以下、義理の父)もアスベストが原因の肺がんで死亡(1983年死亡。55歳)。
・義理の父は埼玉県大宮にあった日本エタニットパイプ(株)大宮工場(現・リゾートソリューション)の従業員として20数年間働いた。
・Kさんの旦那さんにアスベストを直接扱う職歴はなし。
さて、ここでまず皆さんに第一に伝えたいのが、多くのアスベスト患者さんが頻繁に訴えている「救済格差」が生じている問題だということ。
端的に言えば、義理の父は会社も加害責任を認めて企業独自の補償をしましたが、旦那さんについては「従業員ではない」ことが理由とされ、会社から補償はありません。少し脱線すると、リゾートソリューションという企業は非常に不誠実ですね。はっきり言います!不誠実です。
何をもとにこれだけ強く言うかといえば、クボタとの対応が全然ちがいます(別にクボタが立派と言うつもりはない)。クボタは定期的にどの程度の被害者に補償をしてきたのかを社会に向けて提示しています。
一方でリゾートソリューションは2009年の9月に高松の工場(エタニットパイプは大宮の他に高松と鳥栖にも工場がありました)で生じたアスベスト被害への賠償を高松地裁で命じられ、地裁判決を原告・被告双方が受け入れました(厳密には判決に基づいた形で別途企業補償を上積みさせて双方の話し合いによって和解)。この時点で社会へ向けて一定の報告をすべきですが、2008年で報告の提示が終わっており、この件については何も触れられていません。むしろ、2008年の報告内容も調査もせずにあたかも自分たちには過失がなかったかのような内容。こういう会社は社会から見捨てられてしかるべきですね(私はアスベスト被害を出したからここで怒っているのではなく、そのことに向き合っていない姿勢を非難しています)。以下で事実確認をしていただければと思います。
リゾートソリューションのHP
http://www.resol.jp/resol/info/index.html
クボタHP
http://www.kubota.co.jp/kanren/index.html
旧エタパイじん肺訴訟
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/article.aspx?id=20090915000103
というような体質の会社とKさんは争っていくことになるのですが、続きはまた。
2010年8月16日月曜日
官僚といつになったら対話ができるのか!?
今回の投稿は環境省の小沢大臣を筆頭とした政務三役に向けて訴えるものです。
本日、とある部署の官僚から「移動します」というメールが来た。
その方は私が取り組むアスベスト問題と密接に関わる部署の一エリート官僚である。その方が安易に特定できるような文言は迷惑がかかるので避ける。しかし私が上記の三人にお願いしたいのは「可能な限り早くその方を元の部署に戻してほしい」ということである。このお願いはあとでtwitter経由で大谷信盛政務官へ届けたい。
なぜ私がこんなお願いをするかというと、やっと「対話できるかもしれない」と希望を寄せた官僚がこれからというときに意味もわからず移動になったからだ。
私は23歳。数年前まで「国」、「企業」、「官僚」といった漠然としたイメージのままにそれらに属する人間を絶対悪とみなす傾向にあったと記憶している。今から考えるととても幼稚であったけれど。
1年くらい前から、環境省の審議会や検討会を傍聴するようになってその都度、官僚と立ち話くらいをするようになった。その一人が前石綿対策室室長の泉陽子さんである(今回の投稿で指している人間ではない)。彼女はまったくもって官僚まるだしの人だったが、時よりみせるやさしい一面から人間味が多少はあると思った。そのほかの何人かとも話すようになって、漠然としかわからなかった「官僚」というものが具体性を持って個々をとらえられるようになった。
そんな中、ある時期に一人の官僚が関連ある部署にきた。
その方がほかの官僚と違ったのはこちらが対話を望めばそれに応じてくれる姿勢を持っていたことだ。これは決して私や患者団体の言いなりというわけではない!
その他、私が知っている官僚はまじめに私と向き合おうという姿勢を示してくれなかったし、おそらく「市民団体や患者団体の人間」を安易に対環境省の人間として扱っていたのだと思う。この点、非行政側の人間にも安易に行政と敵対しようとする姿勢があることは反省すべき!
でも、その方は私と向き合う姿勢を示してくれて、やっとこれから議論をしていって社会が受け入れてくれるようなアスベスト政策をつくっていこうとした矢先に移動である。
「誰と話せばいいんだ~!」と叫びたい。こうやって私はともかくとして被害を受けた当事者は自分たちの運命を大きく左右するであろう人間たちの顔がころころコロコロ変わって言って、どこに、誰に、何を訴えていけばよいのかわからなくなる。
私もまた一からその部署のわけのわからない人間と信頼関係を構築する作業をしないといけない。おそらくその作業がうまくいくことは時間的・相手の身分的制約によってかなりハードルが高いと思う。これでは絶望しかうまれない。
今回のような現実をつきつけられると私がこれまでみてきた活動家が安易に「官僚悪」を唱えることも理解できないわけではない。
ぜひその方と対話する時間できるような体制をもう一度つくってほしいのです。
お願いします!
本日、とある部署の官僚から「移動します」というメールが来た。
その方は私が取り組むアスベスト問題と密接に関わる部署の一エリート官僚である。その方が安易に特定できるような文言は迷惑がかかるので避ける。しかし私が上記の三人にお願いしたいのは「可能な限り早くその方を元の部署に戻してほしい」ということである。このお願いはあとでtwitter経由で大谷信盛政務官へ届けたい。
なぜ私がこんなお願いをするかというと、やっと「対話できるかもしれない」と希望を寄せた官僚がこれからというときに意味もわからず移動になったからだ。
私は23歳。数年前まで「国」、「企業」、「官僚」といった漠然としたイメージのままにそれらに属する人間を絶対悪とみなす傾向にあったと記憶している。今から考えるととても幼稚であったけれど。
1年くらい前から、環境省の審議会や検討会を傍聴するようになってその都度、官僚と立ち話くらいをするようになった。その一人が前石綿対策室室長の泉陽子さんである(今回の投稿で指している人間ではない)。彼女はまったくもって官僚まるだしの人だったが、時よりみせるやさしい一面から人間味が多少はあると思った。そのほかの何人かとも話すようになって、漠然としかわからなかった「官僚」というものが具体性を持って個々をとらえられるようになった。
そんな中、ある時期に一人の官僚が関連ある部署にきた。
その方がほかの官僚と違ったのはこちらが対話を望めばそれに応じてくれる姿勢を持っていたことだ。これは決して私や患者団体の言いなりというわけではない!
その他、私が知っている官僚はまじめに私と向き合おうという姿勢を示してくれなかったし、おそらく「市民団体や患者団体の人間」を安易に対環境省の人間として扱っていたのだと思う。この点、非行政側の人間にも安易に行政と敵対しようとする姿勢があることは反省すべき!
でも、その方は私と向き合う姿勢を示してくれて、やっとこれから議論をしていって社会が受け入れてくれるようなアスベスト政策をつくっていこうとした矢先に移動である。
「誰と話せばいいんだ~!」と叫びたい。こうやって私はともかくとして被害を受けた当事者は自分たちの運命を大きく左右するであろう人間たちの顔がころころコロコロ変わって言って、どこに、誰に、何を訴えていけばよいのかわからなくなる。
私もまた一からその部署のわけのわからない人間と信頼関係を構築する作業をしないといけない。おそらくその作業がうまくいくことは時間的・相手の身分的制約によってかなりハードルが高いと思う。これでは絶望しかうまれない。
今回のような現実をつきつけられると私がこれまでみてきた活動家が安易に「官僚悪」を唱えることも理解できないわけではない。
ぜひその方と対話する時間できるような体制をもう一度つくってほしいのです。
お願いします!
2010年8月13日金曜日
これがアスベスト患者さんの現状(Tさんのケース。sawadyiの意見)
さて、前回の投稿ではTさんの現状をお伝えしました。
これから読む人&できるだけ文字なんて読みたくない!という人のために簡単にTさんの現状をまとめると。
・約10年前にそのほとんどがアスベストが原因と考えられているがんの一種である「胸膜中皮腫」を発病。現在も生存。療養生活。
・Tさん一家の生計は発病前からTさんがほぼすべてを支えている状態だったので発病から労働によって得られる収入はゼロ。現在も一家が働いて得る収入はゼロ。
・現在、約8年前からTさんは兄弟から毎月約20万円の借金をしている。現在、その合計は約2000万円。
・社会制度としてTさんを支えているものはアスベスト救済法による毎月10万円の療養給付。医療費も給付される。
・Tさんは長女の高校進学を断念させた。
・Tさんはカネミ油症の被害者でもある。
ざっとこんなところでしょうか。
さて、少し心を落ちつかせ言いたいことを書こう。
まず主観的主張。
1、なぜ「同じアスベスト被害」なのに、労災で補償される人もいれば、企業からの補償を得られる人もいれば、それとの比較ではあまりにも格差のありすぎる救済法の給付しか受けられない人もいて、もっと言えば、救済法の枠にも入らない被害者がいるのはおかしい!
2、私はまだ独身やけど、子どもが今後いたときに同じような境遇にあって進学(まして高校への進学を!)を断念させるように伝えるのはどんなに苦しいことか、想像はつく。もう取り返しのつかないことかもしれないけど、お子さんたちの将来の可能性をTさんのアスベストによる健康被害が原因で極端に狭くしたのは否定のしようもない事実。そんなことで負けるな!と言いたい人もいるかもしれないけど、頑張れる人もいるかもしれないけど、そういう人ばっかりではないよねっていうのが私の考え。私も「親」というセーフティーネットがなかったらこのブログでこんなこと書ける余裕はなかったと思います。
3、とにかく借金しないで生活できるようにしてほしい!兄弟がいなかったら、生活保護かな?というかそうなったら間違いなく家を売り払って・・・。そのあとは想像できないくらい真っ暗な生活ではないですか?想像してほしいのはTさんは兄弟というセーフティーネットがあったが、これは誰にも当てはまることではないということ。そしてTさんに年間200万円を貸している兄弟たちにも(兄弟たちの家族にも)間違いなくそれなりの負担があるということ。
兄弟からお金を借りて生活している苦しさは一言では語れない、とTさん。精神的な負担もわかってほしい!
4、そうだ!アスベストに限定しない公害・環境被害者を横断的にフォローした、「生活補償支給金」(名目はなんでもいい!)を所得制限を設けた形で給付するというのはどうでしょう!?否定する理屈はいくらでも出るが、結局やるかやらんかはやる気しだい!
そして少し冷静な主張。
といっても、上記の現実を基軸に物事を考えていくことが基本なので、冷静もなにもないけど。
うん、わかってる。「カネはどこから持ってくるんだ!」っていう官僚の意見をそのまま垂れ流したようなS石官房長官のような人の意見があることもわかってる。
だから私はアスベストが原因で健康被害を受けているなら一律で3000万円を払えとか、救済法をなくして補償法(その中身の具体的イメージも持たないまま)をつくれとかいうつもりはありません。物事も1ミリ、あるいは0.0001ミリずつくらいしか進まないこともなんとなく最近わかってきた。
でも、やっぱりTさんのアスベスト被害は「少なくともTさんには責任がない」と言い切れると思うのです。
で、4みたいな制度をつくれない?って思うのです。
官僚のみなさん、いや環境省石綿対策室のみなさんがよく言うんです。「本当に救われるべき人を救いたいんです」って。この言葉に私はほとんど納得していませんが、考えとしては、そしてこの言葉を発する立場の人たちの事情も理解したいとは思ってます。
あんまりまとまっていないですけど、私は手を貸しますよ。Tさんの助けになるのならば、官僚のみなさんでも、環境省大谷政務官にも、田島一成副大臣にも、小沢幹事長にも。仙石官房長官はわかんないけどなぁ・・・。(ウソ。すぐに撤回×10000)
という具合ですが、厚生労働省の山井政務官は読んでくれたのかなぁ?
これから読む人&できるだけ文字なんて読みたくない!という人のために簡単にTさんの現状をまとめると。
・約10年前にそのほとんどがアスベストが原因と考えられているがんの一種である「胸膜中皮腫」を発病。現在も生存。療養生活。
・Tさん一家の生計は発病前からTさんがほぼすべてを支えている状態だったので発病から労働によって得られる収入はゼロ。現在も一家が働いて得る収入はゼロ。
・現在、約8年前からTさんは兄弟から毎月約20万円の借金をしている。現在、その合計は約2000万円。
・社会制度としてTさんを支えているものはアスベスト救済法による毎月10万円の療養給付。医療費も給付される。
・Tさんは長女の高校進学を断念させた。
・Tさんはカネミ油症の被害者でもある。
ざっとこんなところでしょうか。
さて、少し心を落ちつかせ言いたいことを書こう。
まず主観的主張。
1、なぜ「同じアスベスト被害」なのに、労災で補償される人もいれば、企業からの補償を得られる人もいれば、それとの比較ではあまりにも格差のありすぎる救済法の給付しか受けられない人もいて、もっと言えば、救済法の枠にも入らない被害者がいるのはおかしい!
2、私はまだ独身やけど、子どもが今後いたときに同じような境遇にあって進学(まして高校への進学を!)を断念させるように伝えるのはどんなに苦しいことか、想像はつく。もう取り返しのつかないことかもしれないけど、お子さんたちの将来の可能性をTさんのアスベストによる健康被害が原因で極端に狭くしたのは否定のしようもない事実。そんなことで負けるな!と言いたい人もいるかもしれないけど、頑張れる人もいるかもしれないけど、そういう人ばっかりではないよねっていうのが私の考え。私も「親」というセーフティーネットがなかったらこのブログでこんなこと書ける余裕はなかったと思います。
3、とにかく借金しないで生活できるようにしてほしい!兄弟がいなかったら、生活保護かな?というかそうなったら間違いなく家を売り払って・・・。そのあとは想像できないくらい真っ暗な生活ではないですか?想像してほしいのはTさんは兄弟というセーフティーネットがあったが、これは誰にも当てはまることではないということ。そしてTさんに年間200万円を貸している兄弟たちにも(兄弟たちの家族にも)間違いなくそれなりの負担があるということ。
兄弟からお金を借りて生活している苦しさは一言では語れない、とTさん。精神的な負担もわかってほしい!
4、そうだ!アスベストに限定しない公害・環境被害者を横断的にフォローした、「生活補償支給金」(名目はなんでもいい!)を所得制限を設けた形で給付するというのはどうでしょう!?否定する理屈はいくらでも出るが、結局やるかやらんかはやる気しだい!
そして少し冷静な主張。
といっても、上記の現実を基軸に物事を考えていくことが基本なので、冷静もなにもないけど。
うん、わかってる。「カネはどこから持ってくるんだ!」っていう官僚の意見をそのまま垂れ流したようなS石官房長官のような人の意見があることもわかってる。
だから私はアスベストが原因で健康被害を受けているなら一律で3000万円を払えとか、救済法をなくして補償法(その中身の具体的イメージも持たないまま)をつくれとかいうつもりはありません。物事も1ミリ、あるいは0.0001ミリずつくらいしか進まないこともなんとなく最近わかってきた。
でも、やっぱりTさんのアスベスト被害は「少なくともTさんには責任がない」と言い切れると思うのです。
で、4みたいな制度をつくれない?って思うのです。
官僚のみなさん、いや環境省石綿対策室のみなさんがよく言うんです。「本当に救われるべき人を救いたいんです」って。この言葉に私はほとんど納得していませんが、考えとしては、そしてこの言葉を発する立場の人たちの事情も理解したいとは思ってます。
あんまりまとまっていないですけど、私は手を貸しますよ。Tさんの助けになるのならば、官僚のみなさんでも、環境省大谷政務官にも、田島一成副大臣にも、小沢幹事長にも。仙石官房長官はわかんないけどなぁ・・・。(ウソ。すぐに撤回×10000)
という具合ですが、厚生労働省の山井政務官は読んでくれたのかなぁ?
2010年8月12日木曜日
これこそがアスベスト患者さんの現状(Tさんのケース)
さて、それでは詳しい事例を紹介しましょう。
Tさんは現在53歳。約10年前に悪性腹膜中皮腫と診断され、現在も療養生活をしています。ちなみに中皮腫の患者さんで診断から10年生存というのは異例中の異例中の超異例です。正直、「なぜいきてるの!?」と言いたいくらいの感覚です。本人いわく、今の医学でも説明できない状況みたいです。
そのTさん、どこでアスベストを吸ったのかという問題ですが、これがはっきりわからからんのです。
聞くところによれば、18歳から数年間働いた工場の作業場の天井にアスベストが吹き付けてあったということ(直接、アスベストを扱う作業ではなく、こんな状況は日本にあふれていたはずです)。あと考えられるのは学校に通っていてアスベストを吸ったか。これは体育館の吹き付けとか、理科室の器材などが原因と考えられます。
ともかくTさんは特別にアスベストに暴露(吸うということ)した意識がありませんし、決して珍しいことでもありません。
さてTさんが発病したのが40代前半。その発病前のTさん一家の収入は、Tさん―年収約400万円、Tさん妻(身体が弱い体質)―0円、長男(当時15歳前後)―0円、長女(当時10歳前後)―0円、という具合で家計全体の年収は約400万円。貯蓄は0円でした。実は発病前に現在お住まいの家を30年ローンで購入。その頭金に使ってしまっていました(誰も病気になるとわかっていたら家なんて買いませんよね)。
そしてTさんが発病。治療生活がはじまるわけです。幸い、Tさんの治療費は社会保険などでまかなわれていましたので、医療面の負担はほとんどありませんでした(ケースによっては非保険の抗がん剤治療などもあるようです)。治療中の1年間は傷病手当があり年収の約6割は補償されたそうですが、2年目からは会社を辞めて傷病手当もきれました。
この時点でTさんの収入は0円です。
Tさん一家が生活をどのように支えてきたかというと、クレジットカードローンと銀行から借りられるだけのお金を借り、それ以上はTさんの兄弟から借りてきました。ちなみにクレジットカードローンの返済には弁護士も関与するほどの困難を極め(弁護士費用も兄弟からの借金)、兄弟からも発病時から年間約200万円の借金をしてきているとのことで単純計算するとTさんには兄弟からざっと2000万円の借金を現在に至るまでしていることになります。
Tさん一家の困窮状況を象徴するのが、現在20歳になる娘さんの高校進学をTさんは「高校には行かせられない」と伝えて進学を断念させたことです。現在25歳になる息子さんは高校を中退したそうですが「仮に大学に進学したいと言われたら進学させられましたか」という私の問いに「無理だったでしょうね」と答えてくださりました。
さて、現在のTさん一家の収入はというと変わらず0円で、兄弟からの借金と石綿救済法から月約10万円の給付。前述のお子さんたちからの支援はないとのことです(同世代としてそのことを責めるような感覚にはなりません)。まとめると、兄弟からの借り入れ(20万円としましょう)と月10万円の給付の月30万円が月に使えるお金となります。ここから10万円は家のローンの支払いとなり、その他の生活費は兄弟からの借金から支払うことになります。
まさしく家計は火の車状態。
さて、みなさんはこういったアスベスト患者さんの状況をどう考えますか?ひとまず事実関係を。私の意見を述べる前に一まず休憩。
Tさんは現在53歳。約10年前に悪性腹膜中皮腫と診断され、現在も療養生活をしています。ちなみに中皮腫の患者さんで診断から10年生存というのは異例中の異例中の超異例です。正直、「なぜいきてるの!?」と言いたいくらいの感覚です。本人いわく、今の医学でも説明できない状況みたいです。
そのTさん、どこでアスベストを吸ったのかという問題ですが、これがはっきりわからからんのです。
聞くところによれば、18歳から数年間働いた工場の作業場の天井にアスベストが吹き付けてあったということ(直接、アスベストを扱う作業ではなく、こんな状況は日本にあふれていたはずです)。あと考えられるのは学校に通っていてアスベストを吸ったか。これは体育館の吹き付けとか、理科室の器材などが原因と考えられます。
ともかくTさんは特別にアスベストに暴露(吸うということ)した意識がありませんし、決して珍しいことでもありません。
さてTさんが発病したのが40代前半。その発病前のTさん一家の収入は、Tさん―年収約400万円、Tさん妻(身体が弱い体質)―0円、長男(当時15歳前後)―0円、長女(当時10歳前後)―0円、という具合で家計全体の年収は約400万円。貯蓄は0円でした。実は発病前に現在お住まいの家を30年ローンで購入。その頭金に使ってしまっていました(誰も病気になるとわかっていたら家なんて買いませんよね)。
そしてTさんが発病。治療生活がはじまるわけです。幸い、Tさんの治療費は社会保険などでまかなわれていましたので、医療面の負担はほとんどありませんでした(ケースによっては非保険の抗がん剤治療などもあるようです)。治療中の1年間は傷病手当があり年収の約6割は補償されたそうですが、2年目からは会社を辞めて傷病手当もきれました。
この時点でTさんの収入は0円です。
Tさん一家が生活をどのように支えてきたかというと、クレジットカードローンと銀行から借りられるだけのお金を借り、それ以上はTさんの兄弟から借りてきました。ちなみにクレジットカードローンの返済には弁護士も関与するほどの困難を極め(弁護士費用も兄弟からの借金)、兄弟からも発病時から年間約200万円の借金をしてきているとのことで単純計算するとTさんには兄弟からざっと2000万円の借金を現在に至るまでしていることになります。
Tさん一家の困窮状況を象徴するのが、現在20歳になる娘さんの高校進学をTさんは「高校には行かせられない」と伝えて進学を断念させたことです。現在25歳になる息子さんは高校を中退したそうですが「仮に大学に進学したいと言われたら進学させられましたか」という私の問いに「無理だったでしょうね」と答えてくださりました。
さて、現在のTさん一家の収入はというと変わらず0円で、兄弟からの借金と石綿救済法から月約10万円の給付。前述のお子さんたちからの支援はないとのことです(同世代としてそのことを責めるような感覚にはなりません)。まとめると、兄弟からの借り入れ(20万円としましょう)と月10万円の給付の月30万円が月に使えるお金となります。ここから10万円は家のローンの支払いとなり、その他の生活費は兄弟からの借金から支払うことになります。
まさしく家計は火の車状態。
さて、みなさんはこういったアスベスト患者さんの状況をどう考えますか?ひとまず事実関係を。私の意見を述べる前に一まず休憩。
これこそがアスベスト患者さんの現状(まずは救済法の説明)
さて、これは記録しておかねばと思ったことを書いておきます。
昨日から石綿(アスベスト)健康被害救済法の給付を受けておられる方たちへのインタビューを開始しました。このインタビューは来年春に法改正が予定されている本法律の議論の材料として身内だけでなく、多くの方に患者さんやご遺族の状況を伝えて、より充実した給付体系・内容へと変えていく契機にしたいと考えています。
その前に、救済法のことを少し。この救済法は名前のとおり「救済」の法律です。国や企業からの「補償」を前提とした法律ではありません。公害健康被害補償法とは性格が違います。この法律はいわゆる非労働者を対象とした法律です。例えば、どこかの工場で正社員として働き、工場で扱っていたアスベストが原因の病気になったのであれば、労災補償補償や企業独自の上積み補償などを受けられる場合もあります。少なくとも労災補償は、国が運用する法律に基づいた制度なので一定の認定基準をクリアすれば医療費・遺族年金などの給付を受けることができます。
さて、2005年の兵庫・尼崎が当該地域となったいわゆるクボタショック。ここで問題となったのはクボタの工場(アスベストを原料にして水道管をつくっていました)で働いていた人以外、工場周辺に居住・通勤していた人の中にも工場から飛散したアスベストでがんの一種である悪性中皮腫や肺がんを発症している人がいることが明らかとなったのです。
そこで問題となってくるのが、これらの人々はクボタの従業員ではないことから労災の対象とはならなず、なんらの救済や補償も受けられていない状態にありました(さまざまな評価はありますが、のちにクボタはおそらく日本の公害問題史上もっとも手厚い救済制度を創設しました。その内容から私は補償制度と同一のものと判断しています)。
クボタの周辺住民の方の例をあげましたが、アスベスト被害で恐ろしいのは、クボタのように居住地や勤務地近くにアスベスト飛散工場があって被害にあう明確な「公害型」(ちなみに政府、もっと言えば環境省はアスベスト被害を公害とは認めていません。ぜひ環境省石綿対策室に電話で確認してみてください。「公害です」といったら教えてください)のほかに、被害にあう覚えがなかなか特定できないような事例もあります。アスベストが3000種類もの製品に使用されていたという一説があり、原因の特定が困難である事例が発生する理由の一つです。ただ丹念に話を聞けば、ほとんどの被害はある程度の原因は特定できるような気がします。
ともかく雑ぱくに言うと、そのような何の法的な支えがない方を対象に創設されたのが本法律です。
この法律では療養中の方には自己負担分の医療費が支給され、毎月10万弱の療養給付が支給されます。療養者が亡くなった場合は約20万円が遺族に支払われます。
救済給付の申請時に被災者が亡くなってしまっていた(あるいは申請中に亡くなってしまった)遺族には特別遺族弔慰金として280万円と特別葬祭料の約20万円が支払われます。
とまぁ、給付内容の説明はこのくらいにして昨日お話を伺ったTさんの事例をみてみましょう。給付が患者さんにとって十分なものかそうでないかの判断はそれからにしてくださいね。
ダダダダだぁーっと書きたいところですが、ひとまず休憩。
昨日から石綿(アスベスト)健康被害救済法の給付を受けておられる方たちへのインタビューを開始しました。このインタビューは来年春に法改正が予定されている本法律の議論の材料として身内だけでなく、多くの方に患者さんやご遺族の状況を伝えて、より充実した給付体系・内容へと変えていく契機にしたいと考えています。
その前に、救済法のことを少し。この救済法は名前のとおり「救済」の法律です。国や企業からの「補償」を前提とした法律ではありません。公害健康被害補償法とは性格が違います。この法律はいわゆる非労働者を対象とした法律です。例えば、どこかの工場で正社員として働き、工場で扱っていたアスベストが原因の病気になったのであれば、労災補償補償や企業独自の上積み補償などを受けられる場合もあります。少なくとも労災補償は、国が運用する法律に基づいた制度なので一定の認定基準をクリアすれば医療費・遺族年金などの給付を受けることができます。
さて、2005年の兵庫・尼崎が当該地域となったいわゆるクボタショック。ここで問題となったのはクボタの工場(アスベストを原料にして水道管をつくっていました)で働いていた人以外、工場周辺に居住・通勤していた人の中にも工場から飛散したアスベストでがんの一種である悪性中皮腫や肺がんを発症している人がいることが明らかとなったのです。
そこで問題となってくるのが、これらの人々はクボタの従業員ではないことから労災の対象とはならなず、なんらの救済や補償も受けられていない状態にありました(さまざまな評価はありますが、のちにクボタはおそらく日本の公害問題史上もっとも手厚い救済制度を創設しました。その内容から私は補償制度と同一のものと判断しています)。
クボタの周辺住民の方の例をあげましたが、アスベスト被害で恐ろしいのは、クボタのように居住地や勤務地近くにアスベスト飛散工場があって被害にあう明確な「公害型」(ちなみに政府、もっと言えば環境省はアスベスト被害を公害とは認めていません。ぜひ環境省石綿対策室に電話で確認してみてください。「公害です」といったら教えてください)のほかに、被害にあう覚えがなかなか特定できないような事例もあります。アスベストが3000種類もの製品に使用されていたという一説があり、原因の特定が困難である事例が発生する理由の一つです。ただ丹念に話を聞けば、ほとんどの被害はある程度の原因は特定できるような気がします。
ともかく雑ぱくに言うと、そのような何の法的な支えがない方を対象に創設されたのが本法律です。
この法律では療養中の方には自己負担分の医療費が支給され、毎月10万弱の療養給付が支給されます。療養者が亡くなった場合は約20万円が遺族に支払われます。
救済給付の申請時に被災者が亡くなってしまっていた(あるいは申請中に亡くなってしまった)遺族には特別遺族弔慰金として280万円と特別葬祭料の約20万円が支払われます。
とまぁ、給付内容の説明はこのくらいにして昨日お話を伺ったTさんの事例をみてみましょう。給付が患者さんにとって十分なものかそうでないかの判断はそれからにしてくださいね。
ダダダダだぁーっと書きたいところですが、ひとまず休憩。
2010年8月10日火曜日
日本人とアメリカ、広島・長崎・敗戦。そして普天間問題
だいぶブログをさぼっていましたw
いや、さぼっていたというのは違って、書きたいことがあるときに書くのが私のブログのスタンスなのでまぁよいとします。
ところでそこまでして自分の考えをまとめておきたいと思ったテーマがタイトルにあるようなことです。
昨日、8月9日は1945年に長崎に原爆が投下された日です。最近は新聞・テレビにほとんどふれない(マスコミと官房機密費の問題の影響でしょう)日が多かったのですが、昨日はTBSのニュースクロス23(正式名かな?)で女優の綾瀬はるかさんが原爆被害地域の長崎を訪問し、被害者の女性と対話をするという特集が組まれていたので、少々拝見しました。
ここではその番組について全部をみていないので、評価することはできません。その番組をきっかけとしていろいろと考えたということです。
私はいま23歳になります。これまでの人生で沖縄戦の被害や広島・長崎での原爆投下についてのアメリカの犯罪性・残虐性を考えさせられる契機がほとんどなかったように記憶しています。大げさに言うと、親も、祖父母も、学校の先生も、友達も、テレビも、新聞も、誰も私に「アメリカが悪い!」っていう人たちはいなかったのです(わかりやくいように非常にざっぱくに言うとですが)。
8月の今頃になると原爆被害については被害者の苦しさ「のみ」が伝えられ、戦争を繰り返してはならないと念仏のように唱え、最大・最悪の敵国であったはずのアメリカ政府の違法性・犯罪性・残虐性を正面から問いかけるものが私にはなかったように思います。
それは原爆被害者の訴えからもです(あくまで私の経験上からの判断です)。「アメリカ(政府)が憎い。絶対に許さない」と、そのように訴えている原爆被害者に間接的にも触れことがありません。私は別にアメリカを憎め、と社会に訴えたいわけではないですが、あまりにもそのような声が出てない(社会的・道義的正しいか、間違っているかは置いておいて)社会状況は異常だと思うのです。当然、マスコミもその対象です。どこか一つのマスコミでも声高にアメリカ政府の犯罪性を正面から問う番組をつくったことがあるのでしょうか?おそらく今までにほとんどなく、それができないような構造をはらんでいるのが日本のマスコミの問題なのでしょう。
前鳩山政権で最大の政治課題となっていた普天間問題でも何人かの知識人は鳩山首相ではなく、アメリカ政府や官僚を注視することを問いかけていた方もいたと記憶しています。
あの問題のときもそうなのですが、少数であっても「アメリカは長年にわたって日本の領土である沖縄を自国の領土のように好き勝手つかってきた。ただちに出ていけ」くらいのある意味で気概のある意見が出てきてもよかったのに、少なくとも大手マスコミからは聞こえてきませんでした。
拉致問題であれだけ騒ぐ産経新聞も名ばかり右翼も、日本国民である沖縄県民があれだけ困っている姿を露呈させておきながら、はっきり言って無視。しまいに「仕事がなくなる」という本質論とはかけ離れた話を出す腰ぬけ状態。腰ぬけ状態は他の大手マスコミもおなじですが。
という感じで、この国、日本国民のアメリカ政府へほとんど厳しい目が向けられない状態に私の心はムカムカするのです。よし、誰も言わないなら私が弱小といえどもこのブログを使っていってやろう。
「オバマ大統領!あなたが率いている国は理由はともあれ1945年に日本国内において大量の死傷者を作り出しました。被害者やその遺族はまだ多く日本にいます。その人たちに理由はともあれ苦しめた行為をしたこと自体に対して謝罪をすべきと考えます。まちがいなく直接的な加害者なのですから」
だれかこれを英語に訳してオバマ大統領に伝えて頂いても結構です。まぁ日本にもこういうことをいう奴が一人くらいいても良いでしょう。馬鹿がどこかにいないと物事動いていきません。
いや、さぼっていたというのは違って、書きたいことがあるときに書くのが私のブログのスタンスなのでまぁよいとします。
ところでそこまでして自分の考えをまとめておきたいと思ったテーマがタイトルにあるようなことです。
昨日、8月9日は1945年に長崎に原爆が投下された日です。最近は新聞・テレビにほとんどふれない(マスコミと官房機密費の問題の影響でしょう)日が多かったのですが、昨日はTBSのニュースクロス23(正式名かな?)で女優の綾瀬はるかさんが原爆被害地域の長崎を訪問し、被害者の女性と対話をするという特集が組まれていたので、少々拝見しました。
ここではその番組について全部をみていないので、評価することはできません。その番組をきっかけとしていろいろと考えたということです。
私はいま23歳になります。これまでの人生で沖縄戦の被害や広島・長崎での原爆投下についてのアメリカの犯罪性・残虐性を考えさせられる契機がほとんどなかったように記憶しています。大げさに言うと、親も、祖父母も、学校の先生も、友達も、テレビも、新聞も、誰も私に「アメリカが悪い!」っていう人たちはいなかったのです(わかりやくいように非常にざっぱくに言うとですが)。
8月の今頃になると原爆被害については被害者の苦しさ「のみ」が伝えられ、戦争を繰り返してはならないと念仏のように唱え、最大・最悪の敵国であったはずのアメリカ政府の違法性・犯罪性・残虐性を正面から問いかけるものが私にはなかったように思います。
それは原爆被害者の訴えからもです(あくまで私の経験上からの判断です)。「アメリカ(政府)が憎い。絶対に許さない」と、そのように訴えている原爆被害者に間接的にも触れことがありません。私は別にアメリカを憎め、と社会に訴えたいわけではないですが、あまりにもそのような声が出てない(社会的・道義的正しいか、間違っているかは置いておいて)社会状況は異常だと思うのです。当然、マスコミもその対象です。どこか一つのマスコミでも声高にアメリカ政府の犯罪性を正面から問う番組をつくったことがあるのでしょうか?おそらく今までにほとんどなく、それができないような構造をはらんでいるのが日本のマスコミの問題なのでしょう。
前鳩山政権で最大の政治課題となっていた普天間問題でも何人かの知識人は鳩山首相ではなく、アメリカ政府や官僚を注視することを問いかけていた方もいたと記憶しています。
あの問題のときもそうなのですが、少数であっても「アメリカは長年にわたって日本の領土である沖縄を自国の領土のように好き勝手つかってきた。ただちに出ていけ」くらいのある意味で気概のある意見が出てきてもよかったのに、少なくとも大手マスコミからは聞こえてきませんでした。
拉致問題であれだけ騒ぐ産経新聞も名ばかり右翼も、日本国民である沖縄県民があれだけ困っている姿を露呈させておきながら、はっきり言って無視。しまいに「仕事がなくなる」という本質論とはかけ離れた話を出す腰ぬけ状態。腰ぬけ状態は他の大手マスコミもおなじですが。
という感じで、この国、日本国民のアメリカ政府へほとんど厳しい目が向けられない状態に私の心はムカムカするのです。よし、誰も言わないなら私が弱小といえどもこのブログを使っていってやろう。
「オバマ大統領!あなたが率いている国は理由はともあれ1945年に日本国内において大量の死傷者を作り出しました。被害者やその遺族はまだ多く日本にいます。その人たちに理由はともあれ苦しめた行為をしたこと自体に対して謝罪をすべきと考えます。まちがいなく直接的な加害者なのですから」
だれかこれを英語に訳してオバマ大統領に伝えて頂いても結構です。まぁ日本にもこういうことをいう奴が一人くらいいても良いでしょう。馬鹿がどこかにいないと物事動いていきません。
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