また投稿の間があいてしまった・・・。反省。
Kさんのケースの続きです。
ポイントとしてはKさんの旦那さんはアスベストを直接あつかっていないのに死亡時には肺がんと診断されて42歳で死亡した、ということです。ちなみに公平性を担保するために言うと、旦那さんは20歳くらいから一日に2,30本のたばこを吸っていました。
さて、旦那さんが亡くなって、Kさん一家の収入は無くなります。1997年に亡くなった時点のKさん一家の家族構成は
①Kさん
②長女―15歳
③次女―12歳
④長男―9歳
⑤次男―7歳
さて大変です。収入が途絶えて子ども4人を育てなくてはならなくなった。Kさんはこの状況をどう乗り切ったのか・・・。まず預貯金の切り崩し。厚生年金の遺族年金がKさんに現在も月換算で約9万円支給、子どもには一人につき18歳になるまで月換算で約1万円が支給。
とうことで大雑把に言うと月10万円の社会保障と預貯金で生活費をまかなっていたことになります。子ども4人を育てるのに。幸い、持家だったことでローン・家賃の支払いはありませんでした。
また、子どもの進学費用なども学資保険に加入していたこともあり、なんとかしのげたようです。この保険加入にもいろいろ逸話があって長女は夫婦で加入していたのですが、次女の分は義理の母が旦那さんにして支払っていてくれていたり、長男の分はKさんはお金がないからは入れないと抵抗していたのに旦那さんが強引に入ったりと、限定的・結果的に言うと良かった面もありました。次男については加入していないので何の補助もありませんでした。
そんなこんなで、Kさんのお子さんたちは立派に現在は社会人になっていますが、長女は高校進学してすぐにアルバイトをはじめたり、部活動の加入を断念したり、家計の状況に左右されていたことがうかがえます。ほかのお子さんたちについてもおそらく日常のさまざまな生活が制限されていたことが想像できます。
そうそう、長女は結婚するらしいですが、それに関わる資金援助などもKさんはできないと言ってました。
2006年3月にアスベスト救済法ができて遺族一時金と特別葬祭料合わせて約300万円がKさんには支払われました。この支給決定にあたって国は旦那さんの病気を悪性中皮腫と認定しました。つまり死亡診断の肺がんは誤りで、アスベストと関連した生活歴とを勘案するとほぼ100%、アスベストが原因と想像できます。
ただ、2000年からKさんは旦那さんの死亡はアスベストとの関連があるということで現在のリゾート・ソリューションと裁判をしていましたが、最高裁判所でアスベストとの関係を否定してしまわれています。これは時期的な問題や司法制度の関係などいろいろ言いたいことはありますが、少々息切れ。
みなさんに想像してほしいのは42歳で家計を支えていた人間がいなくなって4人の子供を育てることがどういうことか、42歳で旦那さんをなくしたKさんはじめお子さんたちの精神的なつらさ、そこから連鎖的に発生する病気や性格の変化など、一面では見えにくい問題がさまざまに生じてくるということです。
で、最後に言いたいのが、これで300万円が妥当なの?っていうことです。たとえば労災であればもっと手厚い支給なるし、そうなれば会社から少なくとも数千万上積み補償があるし・・・。
あいだ置きすぎて歯切れわるくなりました。すみません。少しでも考えていただく材料になれば幸いです。
Kさんごめんなさい。

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