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2010年6月28日月曜日

クボタショックから5年

先週の土曜日に尼崎の小田公民館で開催された「クボタショックから5年」の尼崎集会に参加してきました。

みなさんは「クボタショック」をご存じですか?簡単に説明しましょう。
私が大学に入学した2005年のことです。JR尼崎線の脱線事故が4月にありました。すごく印象に残っています。そして6月末からだったと思います。それからその先数カ月間、毎日のように「アスベスト」「石綿」という文字を私は見ていました。

事の発端は何かというと、尼崎にあるクボタにおいて退職者も含めた従業員に多数のアスベスト被害者が出ているという事実を6月30日(だったかな?)の夕刊で毎日新聞がすっぱ抜いたのです。クボタでは1970年ごろまで水道管を製造し、その原料にアスベスト(しかも毒性が最も強い青石綿)を使用していたのです。たしかその日の報道ステーションでトップニュースとなり、翌日の大手新聞5社は一面トップでこの事実を掲載していたと思います。
それから従業員だけでなく、周辺住民にも被害がでているということも発覚し、関係者のみなさんも含めて社会がアスベストパニックの渦の中に入っていったわけです。

といった一連の動きがあり、それから5年を迎えたわけです。
私は当時、大学生で、アスベスト問題に全く関心がなかったですが、とにかく新聞をのぞいていてアスベストの文字が事あるごとにあったことは印象深く覚えています。その後、私は公害問題に関心を持ち、大阪・泉南地域のアスベスト問題の調査をはじめることになります。
調査地域は泉南でしたが、何かのきっかけ(思い出せません(>_<))で私は尼崎の患者さんの集まりに顔をだすようになっていました。 尼崎の患者さん、ご遺族のみなさんと集会で顔を合わせること、飲みにいくこと、私にとって今でもすごく楽しい時間です。泉南の皆さんと比べて個別の患者さん・ご遺族のみなさんとは被害についての話をまともにできる関係ではないので、集会などで発言される機会の話を中心に被害については学んできました。 土曜日の5周年の集会は午後12時半から始まって、最初の30分くらいは過去の報道を流していました。私の気になっている、あるおばあちゃんの映像も流れていました。その方はご遺族で、旦那さんを悪性中皮腫でなくされ、その後まもなく娘さんまでもが暴露経路が不明な形で悪性中皮腫にり患し死亡されたというケースの方です。亡くなった娘さんのお子さんと一緒に暮らしていて一番下のお孫さんはまだ成人していないので、なんとか成人するまではしっかり面倒をみてあげたいといつも訴えておられます。 と、そういう話はこれまでおばあちゃんから何度か聞いていたのですが、この前の集会の映像ではじめて亡くなられた娘さんのお顔を拝見して、すごく似てるんですねおばあちゃんと(親子だから当然なのですが)。顔を見たら、おばあちゃんから聞いていた話とクロスして、胸にこみ上げるものがありました。 他にも尼崎で知り合った方の中には私の母親と同じ年齢くらいで仲良くさせて頂いている女性の方、おじさん、おばちゃん、おじいちゃんがたくさんいます。尼崎で学ばせてもらったことがたくさんあります。 私が言うのも変ですが、泉南の被害者は間違いなく尼崎の皆さんに引っ張られてここまでたたかってこれたと思っています。私が尼崎で会う多くの患者さん・ご遺族は「まだ救済を受けられていない人たちがいる」という強い思いで活動を継続し、泉南の運動も大いに盛りたててくださりました。
これから東京で活動することになりますが、そんなみなさんの思いをどんな立場になっても忘れることなく、活動していきたいと思います。尼崎の患者さん、ご家族・ご遺族のみなさんが示してくださった姿を私は受け継いでいきたいです。


最後に、いろんな人たちに引っ張られてここまで来て、判決後は泉南アスベストのたたかいを本当の意味で自分たちの闘いにまで持ってきたすばらしい原告のみなさんと撮った写真を掲載します。

ちなみに動画もはじめました。YouTubeは以下のサイトからどうぞ

2010年6月24日木曜日

頭が混乱しています。

どうでもよいことしか書きませんので無視してくださって結構です。

ヤバいですね!twitterが。←ツイッターと読みます(読めない人もいるかもしれませんので)。
すごいんです!

twitterにクライアントと言って、自分のつぶやきやら、他人のつぶやきをきれいに整理してくれるサイトがいくとかあります。今日はhootsuiteというクライアントにチャレンジしようとしたのですが、相手の都合が悪くてサイトが休止していました。
代わりに「ついっぷる」という初心者向けクライアントにチャレンジしました。手続きは簡単だったのですが、私が感動したのは、そのサイトを通じて「ついっぷるフォト」というページにいくと、つぶやきと同時に画像も添付できるのです!ただただ感動です。

つぶやきと同時に画像が添付できる。感動そのものですね。こんな感動は生まれて何回目かです。
最近、いままであまり関心を持っていなかったインターネットに関わるさまざまな機能や利用方法に今までの自分ではありえないくらいハマってます。

昨日は携帯で大阪・泉南アスベストの宣伝行動の動画をとってyoutube(ユーチューブ)にアップさせましたが、画像が汚くて何がなんだかわからなかたのです。音はなんとかわかるのですけどね。
くやしくて今日はこれからヨドバシカメラに言って少し本格的なビデオカメラを買ってしまおうかと思っています。ついでに「スカイプ」というものにも関心があり、その機械も買ってしまおうかと思います。
いずれにしろお財布の中身と相談です。

さらに、さっきまでEVERNOTE(エバーノート)というサイトもいじっていました。これはまだどのように使っていいのかつかめていないのですが、とにかく話題になっているので手をつけてみました。
ありえないぐらいこの分野に好奇心が湧いてしまっています。
最近、親しい人に「ツイッターが恋人です」とふざけて言いましたが、本当にそんな状態ですw
というわけで今日はツイッター関連をいじり、エバーノートを手探りしてみてだいぶ頭が混乱しています。

あ~楽しい!


「楽しい」と言えば、昨日は久しぶりに大阪アスベスト弁護団の先生と飲みました。
終わったのは午前2時。最後は4次会、北新地の蕎麦屋さんで終わりました。アスベスト問題に取り組んで弁護団の先生にもだいぶお世話になり、北新地にも何度つれていってもらったことか・・・。
しっかりとこれからの活動で恩返しをしていかなければなりません!

2010年6月23日水曜日

大阪・泉南アスベスト第二陣第一回裁判スタート!

本日、大阪・泉南アスベスト第二陣の弁論がスタートしました。

今日は朝から雨が降っていましたがお昼には止み、少し蒸し暑いくらいでした。
お昼には約50人くらいが宣伝に参加し、久しぶりの宣伝は盛大になりました。


さて、「第二陣とはなんぞや」という話です。みなさんご存じのとおり5月19日に大阪・泉南アスベストの勝訴判決が出ました。これは1陣の裁判になります。1陣の裁判でも1次原告、2次原告と裁判中に続々と提訴して原告が増えていきました。一方で裁判は進行していきますので、ある程度のところで区切りをつけなければいけません。そこで、提訴をある時期に区切り、その時期からあとは「二陣」としてまた同種ではありながら別の裁判でスタートする、ということになります。


そして今日はその二陣の裁判が始まりました。では、一陣と同じように何もかも最初から審理するのかというとそうではなく、一陣の判決を踏まえた審理をしていくことになります。
いずれにしろ、第一陣の控訴審が10月頃に始まると思いますので、その進行具合に大いに左右されることになると思います。





















元派遣の「暴走?」 私たちはどう向き合うか

今日も暑かったですね。私は金曜日から東京に月曜日の夜中に帰阪しました。

今日も休みを頂いていましたのでのんびりな一日でした。
久しぶりに京都へ行き、複合型映画館で日本の映画を観てきました。『パーマメントのばら』(小池栄子の演技にまた感心)と『ヒーローショー』(やっぱり井筒映画は肌に合う、を実感)です。ともにお金を払ってみた甲斐はありました。

さて、そんな私ののんびりな一日でしたが、広島のマツダ自動車の工場では、元派遣工の男性が車で暴走して11人をはねて内一人を死亡させるというなんとも悲惨な事件がありました。詳細は以下を。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201006/2010062200239&rel=y&g=soc

お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。また、ご家族の方々は思わぬ形で家族を亡くされることとなり、悲しみで一杯だと思います。本当に許し難い事件です。


一方、私は「死刑にしろ!」、「頭のおかしい奴が偶然おこした事件だ」、という安易な思考回路でこの問題を消化させてはならないと思っています。
事件そのものはたしかに許されざる行為ですが、加害者をとりまいている昨今の社会状況にも気を配る必要があるのではないでしょうか。「加害者となってしまった男性は、きっとトコトン追い詰められて、愚痴のはけ口や厳しい社会からの逃げ道を完全に失ってしまったのだろうなぁ~」と自転車に乗りながら考えていました。

このような事件が起こったとき、安易な自己責任論を流布してはいけないし、それが不当であることは湯浅誠さんはじめ貧困問題に取り組む方々の著書がその多くを示していると思います。

東京・新宿を歩いていても、梅田を歩いていても路上生活者の方々がいます。
そのような光景をみるたびに私は何もできていない自分がなさけなくなります。なんとも言えぬもどかしさがあります。
私にとって最大の「溜め」(これをご存じでない方はぜひ湯浅誠さんの著書を!)は「両親」です。湯浅さんの著書を拝見したとき、一生懸命働いているのにこの「溜め」がないばかりに、どんどんそこへそこへと突き落とされる事実についてリアリティーを感じることができました。
私の場合、両親という溜めが無くなったときはどうなるのか・・・・・・。これを考えただけでゾッとしますし、いかに自分が幸福な溜めに守られているかを実感しました。一方で自分も何かのきっかけでとことんどん底へ落とされる可能性を十分に秘めているとも思っています。

だから、みんなでみんなを支えあえる社会を少しずつ作っていきたい!そう思う今日この頃です。

2010年6月20日日曜日

独断!各党マニフェスト評価(アスベスト限定)

少々、遅くなりましたが先日、各党からマニュフェストが発表されました。

そこでアスベスト問題について各党でどのような記載があったのか確認しておきます。
残念なことに記載がなかった政党が多々ありましたので、まず以下にそれをあげておきます。

〇2010年マニュフェストにアスベスト問題関連の記載がなかった政党
①民主党 ②国民新党 ③日本共産党 ④みんなの党 ⑤新党改革 ⑥たちあがれ日本

次に、
〇何らかの記載があった政党
①自由民主党 ②公明党 ③社民党
※新党日本は候補者不在

以上のようになっています。正直、マニュフェストを確認する前は気合が入っていましたが、最初に確認した民主党からいきなり「アスベスト」「石綿」という文言がなかったのには非常に残念でした。「つい数週間前まであんなに各大臣たちで騒いでいたのに・・・・・・」という思いです。
ここで記載のない政党への愚痴を垂れても何もはじまりませんので記載のあった三党の中身を比較してみます。以下、それになります。


自由民主党 「自民党政策集 J-ファイル2010」
49 アスベスト対策
 総合的なアスベスト対策を早急に図ります。国と企業の責任で、救済のための基金の創設を検討します。
185 公害健康被害対策等の着実な実施
 水俣病問題の解決、アスベスト被害者の救済やアスベスト対策に取り組むなど、公害健康被害対策を着実に実施します。(以下、省略)

〇公明党 「公明党 マニフェスト2010」
未来の人類のために持続可能な社会を構築安心して暮らせる環境を確保
化学物質から健康を守る体制を強化
(前略)
 石綿健康被害者に対して隙間のない救済を実施するとともに、今後の被害を未然に防ぐための対応を急ぎ、アスベスト対策基本法の制定を検討します。(以下、省略)

〇社民党 「Manifesto2010」
再建08 もっとグリーン 地球温暖化ストップ 低炭素社会へ
水俣病やアスベストをはじめとする公害問題の全面解決と補償・救済を実現します。

記載があった点をピックアップすると以上になります。みなさんはどんな評価を下しますか?

私は以下の三点を評価の視点としてみました。
1、現在おきている被害にどう対応するのか。
2、建物解体など、今後も可能性が高くある石綿の飛散と暴露防止にどう対応するのか。
3、上記二点を含めて、アスベスト問題の解決をどのような形で目指すのか。

そうすると、「独断!各党マニフェスト評価」の順位は、

1位 公明党
理由:これまで発生した被害に対する隙間ない「救済」という文言は現在の石綿健康被害救済法の枠組みを超えるものではないと判断し評価できないが、今後の被害防止の必要性が認識されていることは評価できる。アスベスト対策基本法を制定するとの記載もあり、おそらく中身のイメージはまったくと言っていいほど空っぽだと想像できるが、総合的にみて現行のアスベスト対策だけでは不十分だという認識はあるのだろう、と判断した。

2位 自民党 社民党(同順位)
理由:個別での評価は割れるが、上記の評価視点に照らして総合的に判断すると優劣をつけるのは難しい。自民党は「国と企業の責任で、救済のための基金の創設を検討」とあるが、いまの救済法と何が違うのか判断しづらく、おそらく文言だけが歩いているのだろう。その点、社民党は中身のイメージはないと想像できるものの「補償」を前提とした被害者への対応が必要だと認識している点は評価できる。
 ただ、社民党は今後のアスベスト暴露防止の必要性に対する意識があるとイメージできる文言はなく、自民党は「総合的なアスベスト対策を早急に図ります」とあり、こちらも中身はないとしても今後の暴露の問題を含めて現状では問題が十分に解決されていないと認識している、と想像できる。かと言って、長期的にどんな構想を持とうとしているのかは提示されていないので、同じく長期的な構想に対する記載がない社民党と長期的なプランの提示ができていない点は同じである。したがって優劣がつけがたい。


といった具合になります。記載のない政党は評価のしようがありません。これまでの経過を踏まえると「記載のない政党は問題外!」というわけにもいかず、「ただただ残念」としか言えません。

これを見ている政党関係者の方がいたら、今からでもかまいません。プラスαで付け加えてください!
参院選後はまた各党の皆様にお世話になりますので怒らないでください(>_<)

2010年6月19日土曜日

ご報告二点。

みなさん

といっても誰がみているのかわかりませんし、もしかしたら誰もみていないかもしれないので意味があるかどうかわかりませんが、報告が二点あります。

まず、ひとつは「転職します」ということです。
現在、全日本建設交運一般労働組合関西支部の労働災害職業病担当として働いていますが、6月末を持ちまして退職することとなりました。お世話になった皆様ありがとうございました。組合では1年3か月働きましたが職場環境はものすごく良かったです。人間関係で心苦しいと思ったことは一度もありませんでした。

転職先は東京・亀戸にある石綿対策全国連絡会議です。名目的には全国労働者安全センターになるようです。お金の関係とかでですね。現在の職場を辞めたくなったというのはまったくなく、東京で活動したいという思いと、新たな職場にはこれまでアスベスト問題に取り組んできた方が何人もいて、自分がアスベスト問題に関わっていくにはこちらで経験を積んだ方が良いと判断いたしました。
昨日、さっそく新たな職場に顔見せにいったのですが、どうやら私をどんな風に使うか構想をいろいろ練ってくださっているようで、私としてはうれしかったです。中には香港のNGOで半年くらい修行させようという話(結構、本気の話です)もありました。何がどうなるか、とことんやれることはやってみよう!と今からワクワクしています。

ちなみに、家は亀戸駅から歩いて15秒のところに決まりそうですので、亀戸で飲んで帰れなくなったらどうぞ休んでいってくださいw
とりあえずのご挨拶を泉南アスベストの原告さんにもしたのですが、何人かの原告さんからお返事をいただきました。「寂しいですね」というものから、「(澤田が東京にいって頑張ろうとしているので)私も頑張ります」といったものまであり、とてもうれしいです。私は東京にいきますが、泉南の原告さんとは今後もともに頑張っていこう、とさらに強く決意いたしました。

ご報告の二点目は、「中毒にかかりました」ということです(ここからはしょうもない話なのでスルーしてもいいです)。

恋愛中毒です!といいたいところですが、そうではなく、twitter中毒になりましたw
みなさんはツイッターをしていますか?
「あんなものするか」という方がいることは承知していますが、「ぜったいにしない}と言っていた政治家(自民党代表の谷垣さん)や文化人(江川詔子さん)などいまとなっては、中毒患者でしょう。後者は間違いなく中毒患者です。
私もパソコンを開けばツイッターをチェックしていろいろいじるわけです。この前は夜ごはんも食べずに遅くまでいじってしまいました。おもしろいのです。

使い方はみなさんしだいです!しょうもない、と思っている方はぜひ使ってみてください。ブログと連動させてもいいですし、あくまで情報発信ツールの一つという考え方で使ってみてください。
私のツイッターは以下からご覧ください。
http://twitter.com/sawadyi

特に、喫煙者の方は一服するより一つぶやきした方が自分にとっても社会にとっても有用だと思いますのでタバコを吸ってもいいですが、まずはつぶやきましょう!と言いたいです。
禁煙してから早くも200日。すっかり喫煙者に厳しくなりました。

2010年6月16日水曜日

みなさんは「裸踊り」をしてますか?

最近、というか今日も、ツイッターで頭がいっぱいです。良く理解していない昨日にチャレンジしてフォローしているみなさんにいらん情報を流してしまったのではないかと少し不安です。

いいですねぇ~ツイッター。「タバコで一服するなら、つぶやけ」という格言とまではいかずとも禁煙中(もうぜったいにすいません)で歩きタバコに不快感を持つ私はそんな言葉を思いつきました。

さて、タイトルの「裸踊り」です。もうご存じですか?
事の経緯はツイッターの鳩山首相のつぶやきからです。以下、がそれです。

「新しい公共」が一人歩きを始めました。こんなに嬉しいことはありません。私に「裸踊り」をさせて下さったみなさん、有り難うございました。その私に続いて「裸踊り」をしようと立ち上がって下さったみなさん、有り難う。この伝播力が必ず社会を大きく動かすでしょう。 webから


上記のつぶやきがいろんな憶測を呼んだのですが、翌日に以下のつぶやきがありました。

「裸踊り」 答えはこの動画にあります。 http://bit.ly/aP3bhd 官だけでなく国民全体が公共を担う「新しい公共」の理念。私はその理念と共に、動画の中の青年のように、踊り続けていきたいと思います。 webから

ということでまだ動画をみていないひとはぜひご拝見を!

鳩山さんはちゃめっけありますね。こういうセンスのつぶやきができる首相はやめてしまいました。本当に私たちは鳩山さんをこのような状況になるまで追い詰めるべきだったのか?そんな戸惑いがあります。もっと裸踊りをしたかったはずですが、もう一人目のバカにはなれない立場です。少しかわいそうになります。

私はこれからどんどん裸踊りをしたいと思います。みなさんも一緒におどりましょう!

私達は鳩山前首相に騙されたのか?

今日はよくいく中華料理屋さんでお昼ご飯を食べました(そんな私的な話はどうでもよいのですが)。
そこは値段も手頃でおいしく、毎日新聞が置いてあるということも私のお気に入りです。
ちなみに私は新聞を定期購読していませんし、毎日新聞に陶酔しているわけでもありません。赤旗も目を通しますし、産経新聞も読むときがあります。聖教新聞はあまりないですが。

毎日新聞に目を通していると、佐藤優さんが「異論反論 佐藤さん!鳩山さんの辞任の原因、どう見る?」「外務官僚の「クーデター」」という記事がありました。
内容を端的に言うと、鳩山前首相には官僚のトップという立場と国民の代表としての立場がある。これまで外交は官僚が主導権を握り、官僚は無知蒙昧(むちもうまい)な国民から選ばれた国会議員に任せると国益が損なわれると考える。そのような考えは官僚たちの「集合的無意識」であり、それこそが政権交代をしても官僚の決定は覆すことはできない、との官僚達から鳩山政権、そして国民に現実を突きつける象徴的な出来事であったとしています。

湯浅誠さんや、あるいはさまざまなブログなどで一方的な鳩山批判をすべきではないというメッセージを込めた文章などがいくつかありますが、私も同感しています。わたしも含めて国民の多くが、そして沖縄県民のみなさんの多くが光をみつけ、期待を寄せました。普天間問題について、正直、私も残念です。が、政権のトップに私達は圧力をかけてきましたが(それ自体は民主主義の意思表示ですから問題ないと思いますが)、鳩山さんは国民からも官僚からもマスコミからも連立政権内からも、終盤は圧力をかけられ、逃げ場がなくなってしまったのかなぁ、と思うこともあります。
私達が対峙すべき相手は、本当の相手は誰なのか? そのことを意識して今後の運動を進めていきたいところです。

ところで、毎日新聞の社会面には冤罪の可能性がある痴漢事件が記事になっていました。犯人とされた青年は自殺し、いま母親が必死に無罪を訴えているようです。お母さんの年齢が53歳と私の母親とあまり年齢が変らないので、なんとも感慨深いものがあります。
一人ひとりが頑張って弱い立場の人を一人でも楽にする、そしてお互いに支え合う。そんな社会のより豊かな実現に向けて頑張っていきたいです。

アスベストの運動がおいてけぼりにならないように

ワールドカップで日本代表がカメルーンを破ってから丸一日半が経とうとしています。

私はしっかり試合終了まで日本の負けを期待して観ていましたがダメでしたね(途中からは同点を期待していましたが)(>_<)

最近は雨もたくさん降って、なんか嫌な感じです。



さっそくですが、みなさんはもう『オルタ』(3・4月号)を読みましたか? この雑誌を発行しているのはPARCという国際協力NGOなのですが、私も会員になっています。会員でありながらまともに目を通したのはこの号がはじめてでした。(>_<)

特集は「政権交代と社会運動」ということで湯浅誠さんと弁護士の東俊裕さんの対談になっています。
そこで障がい分野における制度改革推進会議というものが紹介されているのですが、なんとこの会議は26人のメンバーのうち15人が障がい者かその家族で構成されているそうです。
また、「新しい公共」の円卓会議などtwitterは使うは、ustreemでダダ漏れ生中継させるわで、知れば知るほど驚きです。
驚いてばかりいてはいけなくて、アスベストの運動もこのままではいけない! と少し危機感を持っています。情報のオープン化という観点で言えば、アスベストに関わる審議会などはそれらに比べればまったくおくれた行政ですし、わたしも含め運動側も疎い部分が多分にあります。

私は現在、twitter中毒と言ってよいくらいそれにはまってしまいました。中身と可能性を知り、活動への援用を想像しただけでもう気分はウキウキです。
禁煙してすでに200日。たばこで一服するなら、twitterでひとつぶやきしたほうが愉快です!

2010年6月14日月曜日

<日本初戦!>サッカーワールドカップ

みなさん、いよいよ開幕です!日本が勝つように祈りましょう!

と、タイトルの流れから期待されたかもしれませんが私は日本の勝ちにはまったく興味ありません(^。^)
サッカーワールドカップにも興味ありません。強いて言えば、日本が負けたときの社会の、マスコミの反応がどうなるのかものすごく興味があります。
はじめに言っておきます。私は非国民ですw

日本代表の中にとんだおとぼけコメントをしている選手がいました。「日本を背負って頑張ります」、というものです。何を勘違いしているのだろうかと非国民の私は思ってしまいます。少なくとも私はそのコメントをした選手に私の人生の何も背負ってもらっているつもりはないし、日本国籍を所持するものとして何も背負ってもらっているつもりもありません。
そもそも国家という単位を基軸にサッカーの対抗試合をするという発想がなんとも時代遅れの感があります。サッカーワールドカップってそんなに魅力的ですかね?
クラブワールドカップというのもありますが、私はあっちの方が魅力的だと思うんです。単純に国家を超えて一流スターたちで構成されたチーム同士が試合をする。なんとも健全な大会だと思いますが・・・・・・。レベルもこちらの方が当然高いですよね?たぶん。


と、サッカーと日本国をともに愛する人々からおもいっきりののしられそうなことを書きましたが、今日はなんと福岡高裁が国が生活保護の老齢加算を廃止したのは違法である、と判断を下したそうです。
私はこの種の活動に全く関わっていませんからど素人ですが、すげぇ判決が出たなという思いがあります。しかも控訴審ですからね。詳しくは以下をご覧ください。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100614/k10015101671000.html

私は今日の判決はワールドカップの日本の勝敗の何百倍も価値あるものだと思います。「おまえはサッカーに興味ないからそんなこというんやろ?」と言われそうですが、そうではなく、そんなことに関係なく私たちの生活に関わっている福祉の向上(回復?)に一石を投じた判決として日本に住む人みなに関わってくるものだと思います。
ワールドカップよりも、この問題の特集を組んでくれたらうれしいのですが、まだこの社会はそんな状況ではありませんね。社会の盛り上がりの陰にかくれてこんなことがありました、という報告でした。

さて、今日は11時から日本の初戦を観ますのでこのへんで(*^。^*)
もちろん、「日本、先制されました~」という実況を一番に期待しています。

by非国民

2010年6月10日木曜日

アスベスト裁判<対日本通運・ニチアス>傍聴記

いつも一日遅れの報告ですみませんが、今回は二日前のことを報告です。

6月9日、大阪地裁1010号法廷でアスベスト被害を受けた方のご遺族が日本通運とニチアスを被告として損害賠償を求めている裁判の傍聴に行きました。名前を出して問題ないと思うのですが一応、原告の方をYさんとしておきます。被害を受けたのはYさんの父親で、悪性中皮腫(アスベスト被害特有のガン)に罹患してすでに死亡しています。

まず問題を簡単に整理しておきますと(なお、私は当該の人間ではないので細かい点を理解していません。間違っている点もあると思いますが流れをつかんでいただく意味で必要と思います。どうかご容赦ください)、Yさんの父親は1960年前後に日本通運の社員としてニチアス(当時、日本アスベスト)奈良・王寺工場内に常駐して、アスベストの積み卸し作業をしていました。アスベスト原料が入った袋が破れていたこともあったようです。

退職後、胸水がたまっていることがわかり悪性中皮腫と診断されて亡くなっていきました。悪性中皮腫発症後、アスベスト暴露との因果関係をセカンドオピニオンの医師から説明され、生存中に日本通運とニチアスに対して補償などを申し入れていましたが誠実な対応をされないままYさんのお父さんは亡くなられました。その後、YさんとYさんの姉、Yさんのおじさん(Yさんの父親の弟)が原告となり訴訟へと踏み切った、という経緯があります。

これまで私も何度もYさんの裁判の傍聴にいきました。この種の裁判は、最初の1~2年は法廷が開かれても10分~20分程度でその日の審理が終ってしまうのです。何をするのかというと、原告・被告双方から提出された資料の確認(裁判中に何度もお互いの意見を書面提出して反論しあうのです)と次回の日程確認、裁判進行にあたっての意見などが原告側あるいは被告側から出される、といったやりとりです。

私は最初に大阪・泉南アスベストの裁判にいったとき、少し気合いを入れて傍聴にいったのですが、ものすごくあっさりとほとんど中身のないものだったので驚いた経験があります。単調な審理が一定期間続き原告・被告双方の意見が落ちついてくると、それらを机上の空論で終らせないために互いに「証人」を登場させて審理をおこなっていくわけです。これがテレビで良く見る裁判風景であり、これが裁判の醍醐味の一つでしょう。なぜ今回、Yさんの裁判の傍聴記を書いているかというと・・・・・・。


そうなんです! やっと裁判が証人尋問に突入したのです。
午前中にYさんの原告本人尋問。午後に被告側証人二人の尋問がありました。私は午前中原告本人尋問の主尋問部分だけの傍聴しかできませんでした。尋問には主尋問(原告側弁護団からの質問)と反対尋問(被告側からの質問)があります。傍聴者が多数いて、任意で交代をしました。

Yさんは主尋問の最後に、弁護士から最後に言いたいことを述べてくださいと言われると、「ここまでこれたのは裁判所の皆さん、応援してくださった方々がいてくださったからです。ありがとうございました」と述べておられました。
裁判終了後の報告集会でYさんは「ここまでくるまで本当にヘロヘロになることもありましたが、弁護団の先生はじめ、ご支援くださった皆様のおかげです」と涙ながらに話され、Yさんはじめご家族の方々の肉体的・精神的なしんどさが私が想像していた以上であったことを痛感しました。

秋には結審し、来年には間違いなく勝訴判決が言い渡されるはずです! 思い込みではなく、この裁判の裁判長は他のアスベスト裁判でも被害者の意をくみ取ってくださる傾向があるのです。
引き続き、ご注目・ご支援をお願いします。

日本と戦争

すでに日付が変更されてしまいましたが、昨日のNHKクローズアップ現代で「イラク戦争を問うー英国・検証の波紋ー」が放送されていたのでみることにしました。

ざっと内容を説明すると、アメリカ主導のイラク戦争にイギリスはフランスやドイツが反対する中、国連安保理の承認がないまま無批判に軍隊を派遣してしまった。イギリス軍では200名近い軍人の死亡や莫大な税金が使用された。昨年(2009年)からイラク戦争突入に至った経緯を検証するため(決して特定の個人の犯罪性を問うものではなく)、独立調査委員会をたちあげて当時の首相や政府意思決定に関わった関係者から公開で聞き取り調査をおこなうなどの作業がなされている。それらはインターネットサイトにおいてすべて公開され、すでに80人以上からの聞き取り調査をしている。それらも含めた調査結果報告は早ければ年内に出される予定である、というものでした。

2001年9月、私は中学3年生でした。当時、放送していたタモリのジャングルテレビ(だったかな?)をみていると突然、映像が変わって、飛行機がビルに追突している映像が流れました。しばらくすると別の飛行機がさらに追突。あのときの私は9・11の衝撃よりも、観賞途中だったテレビ番組がいつ再開するのか、再放送はあるのかということの方で頭がいっぱいでした。それから世界はしだいにさわがしくなって、2003年にアメリカがイラクに空爆を開始。私はテレビでみていたと思います。
ただ、いずれも事の重大性がわからず、「よくわからないけど何か結構たいへんなことが起きているんだな」という程度の認識だったと思います。

大学に入り、お世話になった教授が口を酸っぱくして「戦争」に対する認識を深めるように言っていたことから私は9・11やイラク戦争をはじめ、日本の第二次世界大戦を考えるようになりました。教授は単に左翼的な思想から過去の戦争体験などを観念的に学び護憲などの意味を学生に学ばせるといった類の指導ではなく、現代においてもあふれている戦争へ進みかねない要素があり、そのような要素を感じ取る能力を過去の経験から学ぶ大切さを説かれていたのだと思います。
確かに「憲法9条を守ろう」といった類のスローガンは間違っていないし、私も同じ意思を持っていますが、それを声高に叫んでいるだけでは思考停止状態に陥り、敏感さに欠ける危険性があると思っています。

さて、私が今日のクロ現(NHKの記者さんはこのように略すのです。)を取り上げたのは、日本では何らイラク戦争への関与に関する公的な総括(言葉が古いですかね?)がなされていないことの不満があるからです。私は専門家ではないですから、イラク戦争の経緯や日本の関与に精通しているわけではありません。ただ、間違いなく日本はイラクに自衛隊を送りアメリカ軍の兵士を戦闘地域などに移送し、昨年も話題になっいたアメリカ軍へのエネルギー供給などを事の本質を顧みず無批判におこなってきた事実があります。イラク戦争への加担の重大性を十分に検討することなく当時の小泉首相はアメリカに手を貸した、と認識しています。

私はどんな形にしろ日本がイラク戦争への間違った関与をしたことは明らかだと思いますが、それが多くの国民の、また多数の国会議員の認識だと思いますが、私の知る限り検証作業が公的に日本ではおこなわれていません。
沖縄の普天間基地移設問題の際にも、現在に至っても日米安保の問題が国会で真剣に議論された経過がありません。アメリカの番犬となって世界の戦争に関与してきた約半世紀の検証をしていかなければ、日米安保を真剣に考えていかなければ、日本は再び大きな過ち(私は第二次世界大戦における日本政府の方針を批判する立場です)を犯す危険性があります。

戦争検証をできるチャンスはいまの政治情勢で十分にあると思います。政治家任せにせず、国民の意思を政治に反映させるよう一人ひとりが頑張りましょう!

2010年6月7日月曜日

環境・公害運動は今後、どれだけメディアを有効に使えるか

たいしたことは書きませんが、最近、TwitterやUSTREAM、UTUBEなど何ていうんでしょうか?そんな類のメディアに興味を持っています。まだぜんぜん素人なので使いこなせてはいません。ブログもその一つです。

若者風に言うと最近のそれらの流れは大激流で(ifoneやipadの登場が大きいと思いますが)、活動家(英語で言うと、アクティビストと言うようでそちらの言い方のほうがかっこ良いですが)としてはこの流れに乗っていかないと時代遅れの運動になっていくと危機感を持っています。

そんなんで今、一生懸命、いろいろネットをいじって新しいものを探したりしています。今日は全然べつの件で本屋に立ち寄ったところTwitter関係の本を5冊も買ってしまいました。本を買うと安心感と満足感が得られるという悪い癖があります。週刊金曜日は日米安保の問題がらみでの購入です。
活動家の先輩方の中には安易に時代の流れに乗ることを毛嫌いしたり、Twitterなど馬鹿にする人もいるかもしれませんが、要はそれらをどのように上手く組み合わせて運動に取り入れていくかが大切になってくるのだと思います。私はまだ全然、使いこなせていませんが必ず、メディアの高度な活用は次世代の活動家に求められる課題になってくる(いや、もうなっているかも)と思います。

一年前の6月6日

一日遅くなりましたが、昨年6月6日の出来事を少しだけ記します。

昨年の6月6日の未明に大阪・泉南地域に住んでいたアスベスト患者さん(以下、Sさん)が亡くなりました。私にとって、自分が知っているアスベスト患者さんの中ではじめての死亡者が出たという、かなりショッキングな出来事でした。

前日、5日の朝。他のアスベスト患者さんの関係者からSさんの具合が悪く、病院に行っても奥様も会ってくれないので病院にお見舞いに行ってほしいと電話がありました。私は学生時分から患者さんたちとお付き合いしていて、Sさんの奥様とも顔なじみであり、これといった肩書などありませんでしたので色んなことが話やすい立場にあったのだと思います。私は出張で東京にいましたがお昼に仕事が終わってすぐに飛行機に乗ってSさんが入院されていた和歌山の病院に直行しました。

Sさんの奥さんは日頃、明るくとても元気の良い方でしたが、私が病室のドアを開けてベットの横で座っている奥様の表情をみたときはまるで別人のように力が抜けきっていました。Sさんはすでに意識のない状態で酸素吸入器をされながら、ベットに寝ていました。奥様と顔を合わせるなり、互いに泣き出していました。
小一時間のお見舞いを終えて、その日は家に帰りました。日付が変わって6月6日の午前2時半くらいだったと思います。奥様から電話があり、「ありがとうね」と第一声がありました。最初はお見舞いのお礼の電話だと思いましたが、その後、亡くなられたことを伝えられました。何をどうしてよいかわからず、私が何かをしたところで何も変わらないのですが、とにかく外に出てタクシーを拾って泉南市にあるSさんの自宅に向かいました。
私がSさんの家についたころ、Sさんも病院から運ばれてこられたところでした。
奥様も含めて何人かのお身内の方とお話をさせていただき、私は身内でもなんでもないのでお顔を拝見させていただくことは控えました。今考えるとなにも考えずご自宅にお伺いしたことが恥ずかしいばかりです。

もうあれから一年かという感じで、私にとっては泉南アスベスト国賠の判決以上の衝撃があったように思います。一年前の6月6日前後に、私はかなり衝撃的なご家族の苦しみの一端を見て、亡くなられあと私はSさんの死を頭の中で可能な限り意識しないようにしました。本当につらくて、悲しくて、それらから解放されるには意識しないことが一番だと思い、私が死の直前・直後に見たもの感じたものは思い返そうとしませんでした。
まだまだ怖くて、あのときのこと、Sさんの死と真正面から向き合える余裕はありません。

奥様はSさんの死後、泉南アスベスト国賠訴訟に遺族原告と加わりました。今では原告団を引っ張っていく一人として、いつも涙ながらに力強くSさんの無念を訴えておられます。
アスベスト問題の活動に携わっている私としては、患者さんとご家族と向き合う努力を今後も続けていきたいと思います。すごくしんどい面もありますが、それが活動の原点だと思っています。

2010年6月5日土曜日

細く長く

忘れないうちに、ということで報告しておきます。

泉南アスベスト国賠訴訟の大阪地裁判決が出た後に約二週間、東京の厚生労働省・環境省前(二つの省は同じビルに入っています)や総理官邸前、国会議員会館前などで座り込みの宣伝行動をしていました。
国をうごかしている中心地(本当はこういう言い方はしたくないのですが)ですので私たち以外にもたくさんの方が宣伝行動をしています。たとえば、B型肝炎訴訟原告団、中国政府から迫害を受けているらしい法輪功という気功団体、外国人参政権反対の団体(私から言えば右翼です。普天間問題にまったく首を突っ込まない右翼はまったくの根性無しですね)などが活動をしていました。

そんな中、私が少し前から目をつけていた方々もおられ、少し話をすることもできました。
それが「普天間基地撤去」を求めて議員会館の前で座り込みをしていたおばあちゃんたちです。
以前、私が議員会館でロビイングをしていたときから認知していましたが、あるとき国会図書館に立ち寄った帰り道でこのおばあちゃんたちを見ました。結構、大きな荷物だと思うのですが、あのお年寄りがよく押しているカート?の上に荷物を載せながら帰る途中でした。

労働組合や右翼団体の運動と比べればもの規模もある種の実行力もすごく小さな運動です。
でも私はあのとき、「自分もジジイになったとき、杖をつきながらでも、どんな小さな運動でもいいから運動にたずさわっていたい!」と思いました。間違いなく、おばあちゃんたちは自分の意思に基づいて意思表示の活動をしています。どんな形でもいいから一人ひとりが意思表示をすることが民主主義確立の第一歩だと思います。老体ながら運動を続けているその姿勢に頭が下がりました。

そんな気になっていたおばあちゃんたちのもとへ泉南アスベストの活動の途中(すぐ近くでお互いに座り込みをしていましたので)にあいさつにいきました。
「辺野古(筆者注ー沖縄の一地域。普天間基地撤去後の移設先とされている)の人が東京で座り込みをしたいけど現実的になかなかできないって言ってたんです(筆者注ー辺野古でも座り込みをしているから)。それを聞いたとき、辺野古の基地移設の問題は東京に住んでいる私たちの問題でもある、と思って座り込みをしているんです」と話してくださいました。
誰でもそんなかっこ良い言葉は結構、言えると思うのですが実際に行動に移している姿勢が大切であり尊敬してしまいます。

おばあちゃんたちは毎週月・木に議員会館の前で座り込みをしています。通りかかったときはぜひご声援を!
なんと一人のおばあちゃんとは日本消費者連盟の会員同士ということが発覚しました。 死ぬまで活動家。そんな自分でありたいと思います。












大阪・泉南アスベスト控訴阻止行動終了

ご無沙汰しておりました((+_+))
久しぶりにブログを開いたら、判決後も何度かブログでの報告をしていたのかと気づきました。
ほとんど毎日、朝から晩まで(時には午前0時近くまで)宣伝行動とその準備に忙殺されてました。

ご存じの方も多いと思いますが結果は以下のサイトをご覧ください。私から言えば「勝利か敗北か」と言えば結果的には後者だと私は認識しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100601-00000071-san-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100601-00000021-jijp-soci.view-000
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100602-00000055-jij-soci

今後、新聞資料など整理して総括報告などしていこうかと思います。
いま、私は「控訴断念に至らせるまでいったい何が足りなかったのか」を考えています。それは内的・外的要因を含めてです。弁護団の先生の中から、国の方針が決定され、東京での活動を終えるとき「私たちにできることは全部やった」という発言がありました。このコメントは私から見てもほぼ間違っていないと考えますが、事実として国に控訴断念をさせることができなかった現実もあります。

私から言わせれば、ものすごくすげぇ~ことができるあと一歩のところまで来ていました。残念です。

最後に、「もう仙石さんの顔は見たくもありません」。
by、原告某