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2010年6月10日木曜日

アスベスト裁判<対日本通運・ニチアス>傍聴記

いつも一日遅れの報告ですみませんが、今回は二日前のことを報告です。

6月9日、大阪地裁1010号法廷でアスベスト被害を受けた方のご遺族が日本通運とニチアスを被告として損害賠償を求めている裁判の傍聴に行きました。名前を出して問題ないと思うのですが一応、原告の方をYさんとしておきます。被害を受けたのはYさんの父親で、悪性中皮腫(アスベスト被害特有のガン)に罹患してすでに死亡しています。

まず問題を簡単に整理しておきますと(なお、私は当該の人間ではないので細かい点を理解していません。間違っている点もあると思いますが流れをつかんでいただく意味で必要と思います。どうかご容赦ください)、Yさんの父親は1960年前後に日本通運の社員としてニチアス(当時、日本アスベスト)奈良・王寺工場内に常駐して、アスベストの積み卸し作業をしていました。アスベスト原料が入った袋が破れていたこともあったようです。

退職後、胸水がたまっていることがわかり悪性中皮腫と診断されて亡くなっていきました。悪性中皮腫発症後、アスベスト暴露との因果関係をセカンドオピニオンの医師から説明され、生存中に日本通運とニチアスに対して補償などを申し入れていましたが誠実な対応をされないままYさんのお父さんは亡くなられました。その後、YさんとYさんの姉、Yさんのおじさん(Yさんの父親の弟)が原告となり訴訟へと踏み切った、という経緯があります。

これまで私も何度もYさんの裁判の傍聴にいきました。この種の裁判は、最初の1~2年は法廷が開かれても10分~20分程度でその日の審理が終ってしまうのです。何をするのかというと、原告・被告双方から提出された資料の確認(裁判中に何度もお互いの意見を書面提出して反論しあうのです)と次回の日程確認、裁判進行にあたっての意見などが原告側あるいは被告側から出される、といったやりとりです。

私は最初に大阪・泉南アスベストの裁判にいったとき、少し気合いを入れて傍聴にいったのですが、ものすごくあっさりとほとんど中身のないものだったので驚いた経験があります。単調な審理が一定期間続き原告・被告双方の意見が落ちついてくると、それらを机上の空論で終らせないために互いに「証人」を登場させて審理をおこなっていくわけです。これがテレビで良く見る裁判風景であり、これが裁判の醍醐味の一つでしょう。なぜ今回、Yさんの裁判の傍聴記を書いているかというと・・・・・・。


そうなんです! やっと裁判が証人尋問に突入したのです。
午前中にYさんの原告本人尋問。午後に被告側証人二人の尋問がありました。私は午前中原告本人尋問の主尋問部分だけの傍聴しかできませんでした。尋問には主尋問(原告側弁護団からの質問)と反対尋問(被告側からの質問)があります。傍聴者が多数いて、任意で交代をしました。

Yさんは主尋問の最後に、弁護士から最後に言いたいことを述べてくださいと言われると、「ここまでこれたのは裁判所の皆さん、応援してくださった方々がいてくださったからです。ありがとうございました」と述べておられました。
裁判終了後の報告集会でYさんは「ここまでくるまで本当にヘロヘロになることもありましたが、弁護団の先生はじめ、ご支援くださった皆様のおかげです」と涙ながらに話され、Yさんはじめご家族の方々の肉体的・精神的なしんどさが私が想像していた以上であったことを痛感しました。

秋には結審し、来年には間違いなく勝訴判決が言い渡されるはずです! 思い込みではなく、この裁判の裁判長は他のアスベスト裁判でも被害者の意をくみ取ってくださる傾向があるのです。
引き続き、ご注目・ご支援をお願いします。

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