Powered By Blogger

2010年10月30日土曜日

コリアの悪性腹膜中皮腫の患者さんと会っていて感じたこと

さてインドネシアから帰国したのが23日の朝10時過ぎ、その日の午後は私の職場の全国労働安全センターの事務所と同じビルに入っている「平野・亀戸ひまわり診療所」の20周年パーティーに参加。翌日のお昼過ぎに羽田から関空へ行き、そのまた翌日の25日の朝に関空を出発し約2時間でコリアへ到着。目的はコリアで新たに設立されるアスベスト問題に取り組むNGOの設立総会と記念のシンポジウムに参加することでした。4日間の日程で上記のこと以外に、コリアの被害者・支援者との意見交換会、両国の被害者合同の記者会見、日本がコリアに政治的に統治をしていた時代から開発されたアジア最大と言われたアスベスト鉱山跡地の見学などをしてきました。




記者会見のときの様子など、いろいろと報道されていますので以下をどうぞ

ハ ンギョレ新聞

http://www.hani.co.kr/arti/society/environment/445693.html
強 制徴用に石綿被害まで・・・在日同法家族の「代続きの受難史」

京 郷新聞
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201010270023025&code=940100 
在 日朝鮮人たち、石綿を吸って暮した


中央日報韓国語版。
http://news.joinsmsn.com/article/628/4575628.html?ctg
世代 を継ぐ石綿肺疾患の強制徴用同胞の子孫たち、日本政府相手に訴訟

財 経日報
http://news.jkn.co.kr/article/news/20101026/4407650.htm

連合ニュースが記事を配信しソウル新聞等に載っています。
http://www.yonhapnews.co.kr/international/2010/10/26/0602000000AKR20101026104100004.HTML?template=2088
「石 綿が雪のように…」日本泉南の韓国人の石綿被害事例
イ ンターネット新聞のプレシアン。
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=50101028092341§ion=03 


滞在時に一番うれしかったことは、なんと言ってもインドネシアで出会った中皮腫の患者さんと再会できたことです。同行していた泉南アスベスト国賠訴訟の原告の方からも「楽しそうやなぁ」と言われましたが、かなり陽気な感じになって話をしていたのだと思います。

彼女との出会いはいろんな意味で特別です。半プライベートな環境で実質的にはじめて英語を使った相手であり、はじめて会った海外の中皮腫患者さんであり、その当事者と不十分ではありながらも通訳を使わずに対話ができ、といった具合に個人的にインパクトのある出会いでした。

患者さんなので十分に体調がすぐれないと思いますが、明るく、少しでも外国の言葉を覚えようとする姿勢、他の被害者の意見をくみ取るのに必死にメモをとるなど、彼女のバイタリティーにはこちらが色々と刺激を受けます。



なかなか文字にすると上手に彼女との出会いで受けた思いを表現できているかわかりませんが、私にとってとても大切な存在です。


たとえば彼女が

「中皮腫患者と言っているだけで、本当は病気ではない」ということで嘘をついていても良い、とアスベストの患者さんと接していてはじめてそんな感覚を持ちました。それは単純に、人並みに今後10年、20年と生きていてほしいという私の思いから派生したものです。



彼女と会っているとき、何度か、「あぁ~この人もそう長くない時期に死んでしまうんやなぁ」と思うことがありました。



約1年半前に泉南地域のある男性患者さんがアスベスト肺を原因とする肺がんを引き起こし亡くなりました。個人的に多少の思い入れのある患者さんで、そのときに人が死ぬことの恐怖を覚えました。悲しみではなく、恐れです。

今まで自分と話ができた人がいなくなる。そのことが私にとっては恐ろしいことです。



少々、脱線気味になりますが、インドネシアにいるときに猫とじゃれていて引っ掻かれました。少し血が出ました。数十分後くらいから「狂犬病だいじょうぶかなぁ」と思い始め、インターネットで病気のことを調べるとものすごい恐怖に襲われました。「もしかしたら死ぬかも」と思いました。特段、処置などしていませんので可能性として、私は何ヶ月後かに狂犬病になって死ぬかもしれないです。


まぁ、それはそれとして今は対して気を病んでいませんが、引っ掻かれたその日などは「死への恐怖」で心がいっぱいでした。


なぜ「死」がこわいのか(これは自分の死についてですが)。なぜでしょうね。死んでからなにか大きな苦痛が待ち受けていると確認できるものもなく、単に個人としてはこの世界から少なくとも物質的に消えていくだけなのに、でもこわかったのです。



死ぬ前にやっておきたいと思ったことは、お世話になった人にお礼だけはしておきたいなぁと思い、いろんな人の顔が出てきました。

それともう一つ。映画のネタになりそうな恋愛をしたかった、ともw



ともあれ、事実として自分が死ぬことへの恐怖を感じたことは事実です。おそらく「死んだらどうなるか」がわからないことへの恐怖なのだと思います。かといってその答えを導き出すために誰かに教えを被るつもりもいまのところありません。



さておかしな方向に話がいってしまいましたが、コリアの女性の話へ戻します。



といっても、私の率直な思いとして、彼女に人並みに長く生きていてほしく、日本やコリア、あるいはその他の国で今後も笑って会える機会をこれからも多く持てたらよいなぁ、と思っているだけです。

そう、彼女をアスベストに暴露させた企業をこらしめたい!とか不十分な韓国政府へ文句を言いたい!という以前に上記の気持ちが強くあります。誤解を恐れずに言えば、被害者救済や制度改正なんてどうでもいいやーって思うくらい、第一に彼女が人並みに生きてほしいという思いがあります。



自分の意見を正当化させるわけではありませんが、こういう気持ちは大切にしたいと思います。自分も含めて、この種の系統の運動はときどき患者さんが置き去りにされて、なにか大きな運動をするときの名目だけで患者さんや家族が使われることが少なからずあると思います。もちろん患者さんの生活に結びつく制度改正運動は大切ですが、可能なかぎり当事者の気持ちを理解する努力をおこたらないで今後もこの仕事に関わっていければと思っています。

下心と英語能力の向上は共生できるか!?(インドネシアでの体験記)

だいぶ久しぶりの更新となりました。




が、このブログは書きたいときに書く(書ける余裕があるときに書く)、がモットーなのでよしとします。


さて、先週と今週はわたくしほとんど海外にいました。10月16日から22日まではインドネシア。25日から28日まではコリア。ともにアスベスト関連の出張です。

インドネシアはアスベスト禁止の国際ネットワークと労働災害の世界会議。コリアは現地で新たなアスベスト被害者支援組織が設立され、その設立総会と被害者交流会、アスベスト鉱山見学をしました。



インドネシアでは自身初の英語でのプレゼン(10分程度)とはじめて異国人と英語をつかってコミュニケーションをとりました。ちなみに中学・高校と私の英語の点数は平均20点。英検5級を取得しているだけですから、その実力たるや惨憺たるものです。

しかし、インドネシア・バンドンのホテルにつくなり、さっそく韓国やら香港の参加者と夕食を食べたのですが、なんと私と同行していた同じ職場の事務局長が日本語を遮断し、私を英語地獄へと落としました。その夕食で私は実質的に人生初の英語での日常会話をすることになり、その相手をしてくれたのがコリアから来ていた40代半ばの悪性腹膜中皮腫の女性患者です。



彼女も十分に英語を使える状態ではないので互いに英語の練習相手のような関係になりました(といっても、彼女のほうが私より多くの語彙力があります)。

翌日も会議はすべて英語、お昼ごはんのときも海外のメンバーと食事をともにし、一切日本語はつかいませんでした。ここではっきり言っておきますが、私に同行した事務局長はあえて私からとおざかり一緒に食事などしませんでした。私の英語の初プレゼンはインドネシア3日目の会議終了間際におこなわれましたが、その前後など、「あと数日間どうやってこの環境ですごそうかなぁ・・・。うわぁ~〇〇さん(事務局長)わざと離れてるわぁ(苦笑)・・・あぁ絶望・・・」といった感覚でしたw



英語のプレゼンは、私の英語能力相応に素人の感覚がでまくっていたようですが、


そうです!

プレゼンが終わった3日目の夜から私は積極的に英語を使うようになったのです!

理由は単純で、その日の夕食にニュージーランドから来ていた綺麗なお姉さんと夕食のテーブルが一緒になり、ものすごく興奮してきて、「こりゃ、どんどん会話せなあかんやろ~」という思いが出てきました。

インドネシアの国際会議がよかったのは、若い女性が10人以上いたことです。特に香港、韓国などから若い方が来ていて、不肖澤田としてはそんなことでテンションが高めになっていました。おそらく、若い女性がまったくいなかったら「もう来年の国際会議はぜったいにこない!」と思っていたと思います。

またこのようなことを書くと、「お前は何をしに国際会議にいっているんだ!」と怒られるかもしれないですが、でも私の正直な感覚なので後世のためにできるだけ感じたことを正確に記しておきます(思うことがあるひとは、なんなりとご意見をどうぞ)。



そこから多少仲良くなった女性には「ユーアーベリービューティフル」(あなたとてもきれいですね、のつもり)ということを私の会話の基本として、突き進んでいきました。まぁ、相手も私の雰囲気から存分に冗談が含まれていることを理解して、適当に相手をしてもらっていた感じでしょうか。

そんなこんなでインドネシアの国際会議は若い女性と会話できることにウキウキしながら(若い女性と話したいから無理にでも英語をつかっていた、という具合です)、「ぜったいにまた参加しよう!もっと海外にいきたい!」と思って終えることができました。

ひとまずここで区切り、コリア訪問の話と例のコリアの中皮腫女性患者との出会いの話を次回はします。


追伸

数ヶ月前、英語を覚えるには外国の彼女をつくるのがいい、と事務局長からいわれましたが、その言葉の重みを新ためて感じました。

2010年8月25日水曜日

これがアスベスト遺族の現状(Kさんのケース3)

また投稿の間があいてしまった・・・。反省。

Kさんのケースの続きです。
ポイントとしてはKさんの旦那さんはアスベストを直接あつかっていないのに死亡時には肺がんと診断されて42歳で死亡した、ということです。ちなみに公平性を担保するために言うと、旦那さんは20歳くらいから一日に2,30本のたばこを吸っていました。

さて、旦那さんが亡くなって、Kさん一家の収入は無くなります。1997年に亡くなった時点のKさん一家の家族構成は
①Kさん
②長女―15歳
③次女―12歳
④長男―9歳
⑤次男―7歳


さて大変です。収入が途絶えて子ども4人を育てなくてはならなくなった。Kさんはこの状況をどう乗り切ったのか・・・。まず預貯金の切り崩し。厚生年金の遺族年金がKさんに現在も月換算で約9万円支給、子どもには一人につき18歳になるまで月換算で約1万円が支給。

とうことで大雑把に言うと月10万円の社会保障と預貯金で生活費をまかなっていたことになります。子ども4人を育てるのに。幸い、持家だったことでローン・家賃の支払いはありませんでした。
また、子どもの進学費用なども学資保険に加入していたこともあり、なんとかしのげたようです。この保険加入にもいろいろ逸話があって長女は夫婦で加入していたのですが、次女の分は義理の母が旦那さんにして支払っていてくれていたり、長男の分はKさんはお金がないからは入れないと抵抗していたのに旦那さんが強引に入ったりと、限定的・結果的に言うと良かった面もありました。次男については加入していないので何の補助もありませんでした。

そんなこんなで、Kさんのお子さんたちは立派に現在は社会人になっていますが、長女は高校進学してすぐにアルバイトをはじめたり、部活動の加入を断念したり、家計の状況に左右されていたことがうかがえます。ほかのお子さんたちについてもおそらく日常のさまざまな生活が制限されていたことが想像できます。
そうそう、長女は結婚するらしいですが、それに関わる資金援助などもKさんはできないと言ってました。


2006年3月にアスベスト救済法ができて遺族一時金と特別葬祭料合わせて約300万円がKさんには支払われました。この支給決定にあたって国は旦那さんの病気を悪性中皮腫と認定しました。つまり死亡診断の肺がんは誤りで、アスベストと関連した生活歴とを勘案するとほぼ100%、アスベストが原因と想像できます。
ただ、2000年からKさんは旦那さんの死亡はアスベストとの関連があるということで現在のリゾート・ソリューションと裁判をしていましたが、最高裁判所でアスベストとの関係を否定してしまわれています。これは時期的な問題や司法制度の関係などいろいろ言いたいことはありますが、少々息切れ。


みなさんに想像してほしいのは42歳で家計を支えていた人間がいなくなって4人の子供を育てることがどういうことか、42歳で旦那さんをなくしたKさんはじめお子さんたちの精神的なつらさ、そこから連鎖的に発生する病気や性格の変化など、一面では見えにくい問題がさまざまに生じてくるということです。


で、最後に言いたいのが、これで300万円が妥当なの?っていうことです。たとえば労災であればもっと手厚い支給なるし、そうなれば会社から少なくとも数千万上積み補償があるし・・・。

あいだ置きすぎて歯切れわるくなりました。すみません。少しでも考えていただく材料になれば幸いです。
Kさんごめんなさい。

2010年8月18日水曜日

これがアスベスト遺族の現状(Kさんのケース2)

さて続き。

前回の投稿で主張したのはアスベスト被害の救済に格差があるということ。
そしてリゾートトソリューションのアスベスト問題の社会的な説明はクボタに比べておろそか、ということ。

Kさん例の続き

Kさんの旦那さんの病気の発見、病状は以下のような経過をたどりました。

1996年(平成8)7月くらいから風邪をひき、咳がとまらなくなった。その2、3年前から咳が頻繁に出ていた。1996年8月16日に大宮の某病院を受診。「肺がぼろぼろ」と医師に言われる。肺がんとはこの時点では告知されていなかった。それ以前の8月の最初くらいに海に遊びにいっていたことを告げると、「よくこの身体で海にいけたな」とも言われた。のちにわかったことだが、初診時のカルテに「間接ばくろの疑いあり」と記載されていた(間接ばくろ、については後で説明なう!)。実は初診日の4、5年くらい前に家族で行った山登りのときから息が苦しそうだった、とKさん。同年9月20日ごろ同病院に検査入院。肺がんの可能性があると指摘される。


同年12月末に、はじめていく東京の某病院を受診(なお、これ以後は東京の同病院を継続受診)。ここでの検査の結果、リンパにも転移しており手術はできないと告げられる。この時点で「肺がんか中皮腫(ちゅうひしゅ)」といわれた。12月の診断結果後は1カ月に1回くらい通院。その間も仕事は続け、職場のあった東京・荒川まで通っていた。1997年の5月の連休明けからは2、3日に一回は放射線治療をしていた(左の肺にがんがあると指摘されていた。左わきの下からかたいものがでてきていた。そこを放射線治療していた。痛みがすこしやわらぐ感じがあったので継続)。

同年6月4日に通院すると心臓に水がたまっていることを指摘される。この時点から死亡まで入院。同年9月27日死亡。死亡診断書には「肺がん」と書かれていた。
 
 
上記のとおりKさんの旦那さんは1997年に死亡しました。そこで、「間接ばくろ」のことを説明だう!ちなみに「ばくろ(曝露)」とは何かの物質を吸引するようなことを指します(悪い意味合いで使用される)。
 
 
前回の報告にも記したように旦那さんの父親は20数年間アスベストを扱う工場で働いていました。
でも、この旦那さんは働いていない・・・。
 
関連があるとして疑われるのは、父親が作業現場から持ち帰ってきた作業着にアスベストが付着していて、それを洗濯前に何らかの形で接触したか、洗濯作業時に接触したか、その結果アスベストを吸引したことが考えられます。実際に同様の事例は全国各地で起こっていて(だから家事をしていた女性にも被害者がいます)、Kさんによれば旦那さんは「義父が作業で使ったマスクを家に持ってきて、風呂敷に入れて廊下においていたものを幼少時にふざけて着用していた経験がある」とのことです。
 
 
本人は仕事で直接アスベストを扱っていないけど、家族などがアスベストを扱っていて何らかの形をとおして被害にあうケースを「間接ばくろ」とこの業界では分類しています。
ちなみにその他のばくろの種類、アスベストを仕事で直接扱っていた「直接ばくろ(職業ばくろ)」、本人や家族はアスベストを扱っていないのに居住地や通勤先にアスベスト工場があり、そこから大気中に放出されたアスベストを吸引してしまった「環境曝露」(場合によっては「近隣ばくろ」ともいいます。工場が家からものすごく近かった場合など)があります。
 
続きはまた。
 
Kさんの旦那さんはアスベストを直接あつかっていないのにアスベスト被害で40代にして亡くなった、ということだけ押さえておいてください。

これがアスベスト遺族の現状(Kさんのケース1)

よし、ここ数日、日曜日に野球をして身体を少し激しく動かした影響か、疲れ気味だったが今日は被害を伝える作業をする!そしてこれは厚生労働省や環境省の政務三役の先生にも読んでもらいたい。ちなみに大谷信盛政務官にはツイッターでフォローしてほしいと要望を出したがいまだフォローされていない(おそらく今後もないだろう)。
でもこのブログはツイッターで大谷先生と厚生労働省の山井政務官には名前をつけてツイートして案内しているので見ている可能性はある。だからいつまでも伝える!

さて、今回紹介したいのは埼玉県に住んでいるKさん。先週の木曜日にインタビューをした(アウトプットがおそい!すみません(+_+)×3)

Kさんの基本的な情報をまずは提示。
・Kさんはアスベスト被害者の遺族。被害を受けたのは旦那(1997年に死亡。享年42歳)。旦那の父(以下、義理の父)もアスベストが原因の肺がんで死亡(1983年死亡。55歳)。
・義理の父は埼玉県大宮にあった日本エタニットパイプ(株)大宮工場(現・リゾートソリューション)の従業員として20数年間働いた。
・Kさんの旦那さんにアスベストを直接扱う職歴はなし。

さて、ここでまず皆さんに第一に伝えたいのが、多くのアスベスト患者さんが頻繁に訴えている「救済格差」が生じている問題だということ。
端的に言えば、義理の父は会社も加害責任を認めて企業独自の補償をしましたが、旦那さんについては「従業員ではない」ことが理由とされ、会社から補償はありません。少し脱線すると、リゾートソリューションという企業は非常に不誠実ですね。はっきり言います!不誠実です。
何をもとにこれだけ強く言うかといえば、クボタとの対応が全然ちがいます(別にクボタが立派と言うつもりはない)。クボタは定期的にどの程度の被害者に補償をしてきたのかを社会に向けて提示しています。
一方でリゾートソリューションは2009年の9月に高松の工場(エタニットパイプは大宮の他に高松と鳥栖にも工場がありました)で生じたアスベスト被害への賠償を高松地裁で命じられ、地裁判決を原告・被告双方が受け入れました(厳密には判決に基づいた形で別途企業補償を上積みさせて双方の話し合いによって和解)。この時点で社会へ向けて一定の報告をすべきですが、2008年で報告の提示が終わっており、この件については何も触れられていません。むしろ、2008年の報告内容も調査もせずにあたかも自分たちには過失がなかったかのような内容。こういう会社は社会から見捨てられてしかるべきですね(私はアスベスト被害を出したからここで怒っているのではなく、そのことに向き合っていない姿勢を非難しています)。以下で事実確認をしていただければと思います。

リゾートソリューションのHP
http://www.resol.jp/resol/info/index.html

クボタHP
http://www.kubota.co.jp/kanren/index.html

旧エタパイじん肺訴訟
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/article.aspx?id=20090915000103


というような体質の会社とKさんは争っていくことになるのですが、続きはまた。

2010年8月16日月曜日

官僚といつになったら対話ができるのか!?

今回の投稿は環境省の小沢大臣を筆頭とした政務三役に向けて訴えるものです。

本日、とある部署の官僚から「移動します」というメールが来た。
その方は私が取り組むアスベスト問題と密接に関わる部署の一エリート官僚である。その方が安易に特定できるような文言は迷惑がかかるので避ける。しかし私が上記の三人にお願いしたいのは「可能な限り早くその方を元の部署に戻してほしい」ということである。このお願いはあとでtwitter経由で大谷信盛政務官へ届けたい。

なぜ私がこんなお願いをするかというと、やっと「対話できるかもしれない」と希望を寄せた官僚がこれからというときに意味もわからず移動になったからだ。
私は23歳。数年前まで「国」、「企業」、「官僚」といった漠然としたイメージのままにそれらに属する人間を絶対悪とみなす傾向にあったと記憶している。今から考えるととても幼稚であったけれど。

1年くらい前から、環境省の審議会や検討会を傍聴するようになってその都度、官僚と立ち話くらいをするようになった。その一人が前石綿対策室室長の泉陽子さんである(今回の投稿で指している人間ではない)。彼女はまったくもって官僚まるだしの人だったが、時よりみせるやさしい一面から人間味が多少はあると思った。そのほかの何人かとも話すようになって、漠然としかわからなかった「官僚」というものが具体性を持って個々をとらえられるようになった。

そんな中、ある時期に一人の官僚が関連ある部署にきた。
その方がほかの官僚と違ったのはこちらが対話を望めばそれに応じてくれる姿勢を持っていたことだ。これは決して私や患者団体の言いなりというわけではない!
その他、私が知っている官僚はまじめに私と向き合おうという姿勢を示してくれなかったし、おそらく「市民団体や患者団体の人間」を安易に対環境省の人間として扱っていたのだと思う。この点、非行政側の人間にも安易に行政と敵対しようとする姿勢があることは反省すべき!

でも、その方は私と向き合う姿勢を示してくれて、やっとこれから議論をしていって社会が受け入れてくれるようなアスベスト政策をつくっていこうとした矢先に移動である。
「誰と話せばいいんだ~!」と叫びたい。こうやって私はともかくとして被害を受けた当事者は自分たちの運命を大きく左右するであろう人間たちの顔がころころコロコロ変わって言って、どこに、誰に、何を訴えていけばよいのかわからなくなる。
私もまた一からその部署のわけのわからない人間と信頼関係を構築する作業をしないといけない。おそらくその作業がうまくいくことは時間的・相手の身分的制約によってかなりハードルが高いと思う。これでは絶望しかうまれない。

今回のような現実をつきつけられると私がこれまでみてきた活動家が安易に「官僚悪」を唱えることも理解できないわけではない。

ぜひその方と対話する時間できるような体制をもう一度つくってほしいのです。
お願いします!

2010年8月13日金曜日

これがアスベスト患者さんの現状(Tさんのケース。sawadyiの意見)

さて、前回の投稿ではTさんの現状をお伝えしました。

これから読む人&できるだけ文字なんて読みたくない!という人のために簡単にTさんの現状をまとめると。

・約10年前にそのほとんどがアスベストが原因と考えられているがんの一種である「胸膜中皮腫」を発病。現在も生存。療養生活。
・Tさん一家の生計は発病前からTさんがほぼすべてを支えている状態だったので発病から労働によって得られる収入はゼロ。現在も一家が働いて得る収入はゼロ。
・現在、約8年前からTさんは兄弟から毎月約20万円の借金をしている。現在、その合計は約2000万円。
・社会制度としてTさんを支えているものはアスベスト救済法による毎月10万円の療養給付。医療費も給付される。
・Tさんは長女の高校進学を断念させた。
・Tさんはカネミ油症の被害者でもある。

ざっとこんなところでしょうか。
さて、少し心を落ちつかせ言いたいことを書こう。

まず主観的主張。
1、なぜ「同じアスベスト被害」なのに、労災で補償される人もいれば、企業からの補償を得られる人もいれば、それとの比較ではあまりにも格差のありすぎる救済法の給付しか受けられない人もいて、もっと言えば、救済法の枠にも入らない被害者がいるのはおかしい!

2、私はまだ独身やけど、子どもが今後いたときに同じような境遇にあって進学(まして高校への進学を!)を断念させるように伝えるのはどんなに苦しいことか、想像はつく。もう取り返しのつかないことかもしれないけど、お子さんたちの将来の可能性をTさんのアスベストによる健康被害が原因で極端に狭くしたのは否定のしようもない事実。そんなことで負けるな!と言いたい人もいるかもしれないけど、頑張れる人もいるかもしれないけど、そういう人ばっかりではないよねっていうのが私の考え。私も「親」というセーフティーネットがなかったらこのブログでこんなこと書ける余裕はなかったと思います。

3、とにかく借金しないで生活できるようにしてほしい!兄弟がいなかったら、生活保護かな?というかそうなったら間違いなく家を売り払って・・・。そのあとは想像できないくらい真っ暗な生活ではないですか?想像してほしいのはTさんは兄弟というセーフティーネットがあったが、これは誰にも当てはまることではないということ。そしてTさんに年間200万円を貸している兄弟たちにも(兄弟たちの家族にも)間違いなくそれなりの負担があるということ。
兄弟からお金を借りて生活している苦しさは一言では語れない、とTさん。精神的な負担もわかってほしい!

4、そうだ!アスベストに限定しない公害・環境被害者を横断的にフォローした、「生活補償支給金」(名目はなんでもいい!)を所得制限を設けた形で給付するというのはどうでしょう!?否定する理屈はいくらでも出るが、結局やるかやらんかはやる気しだい!


そして少し冷静な主張。
といっても、上記の現実を基軸に物事を考えていくことが基本なので、冷静もなにもないけど。
うん、わかってる。「カネはどこから持ってくるんだ!」っていう官僚の意見をそのまま垂れ流したようなS石官房長官のような人の意見があることもわかってる。
だから私はアスベストが原因で健康被害を受けているなら一律で3000万円を払えとか、救済法をなくして補償法(その中身の具体的イメージも持たないまま)をつくれとかいうつもりはありません。物事も1ミリ、あるいは0.0001ミリずつくらいしか進まないこともなんとなく最近わかってきた。

でも、やっぱりTさんのアスベスト被害は「少なくともTさんには責任がない」と言い切れると思うのです。
で、4みたいな制度をつくれない?って思うのです。

官僚のみなさん、いや環境省石綿対策室のみなさんがよく言うんです。「本当に救われるべき人を救いたいんです」って。この言葉に私はほとんど納得していませんが、考えとしては、そしてこの言葉を発する立場の人たちの事情も理解したいとは思ってます。

あんまりまとまっていないですけど、私は手を貸しますよ。Tさんの助けになるのならば、官僚のみなさんでも、環境省大谷政務官にも、田島一成副大臣にも、小沢幹事長にも。仙石官房長官はわかんないけどなぁ・・・。(ウソ。すぐに撤回×10000)

という具合ですが、厚生労働省の山井政務官は読んでくれたのかなぁ?

2010年8月12日木曜日

これこそがアスベスト患者さんの現状(Tさんのケース)

さて、それでは詳しい事例を紹介しましょう。

Tさんは現在53歳。約10年前に悪性腹膜中皮腫と診断され、現在も療養生活をしています。ちなみに中皮腫の患者さんで診断から10年生存というのは異例中の異例中の超異例です。正直、「なぜいきてるの!?」と言いたいくらいの感覚です。本人いわく、今の医学でも説明できない状況みたいです。

そのTさん、どこでアスベストを吸ったのかという問題ですが、これがはっきりわからからんのです。
聞くところによれば、18歳から数年間働いた工場の作業場の天井にアスベストが吹き付けてあったということ(直接、アスベストを扱う作業ではなく、こんな状況は日本にあふれていたはずです)。あと考えられるのは学校に通っていてアスベストを吸ったか。これは体育館の吹き付けとか、理科室の器材などが原因と考えられます。
ともかくTさんは特別にアスベストに暴露(吸うということ)した意識がありませんし、決して珍しいことでもありません。

さてTさんが発病したのが40代前半。その発病前のTさん一家の収入は、Tさん―年収約400万円、Tさん妻(身体が弱い体質)―0円、長男(当時15歳前後)―0円、長女(当時10歳前後)―0円、という具合で家計全体の年収は約400万円。貯蓄は0円でした。実は発病前に現在お住まいの家を30年ローンで購入。その頭金に使ってしまっていました(誰も病気になるとわかっていたら家なんて買いませんよね)。

そしてTさんが発病。治療生活がはじまるわけです。幸い、Tさんの治療費は社会保険などでまかなわれていましたので、医療面の負担はほとんどありませんでした(ケースによっては非保険の抗がん剤治療などもあるようです)。治療中の1年間は傷病手当があり年収の約6割は補償されたそうですが、2年目からは会社を辞めて傷病手当もきれました。
この時点でTさんの収入は0円です。

Tさん一家が生活をどのように支えてきたかというと、クレジットカードローンと銀行から借りられるだけのお金を借り、それ以上はTさんの兄弟から借りてきました。ちなみにクレジットカードローンの返済には弁護士も関与するほどの困難を極め(弁護士費用も兄弟からの借金)、兄弟からも発病時から年間約200万円の借金をしてきているとのことで単純計算するとTさんには兄弟からざっと2000万円の借金を現在に至るまでしていることになります。

Tさん一家の困窮状況を象徴するのが、現在20歳になる娘さんの高校進学をTさんは「高校には行かせられない」と伝えて進学を断念させたことです。現在25歳になる息子さんは高校を中退したそうですが「仮に大学に進学したいと言われたら進学させられましたか」という私の問いに「無理だったでしょうね」と答えてくださりました。


さて、現在のTさん一家の収入はというと変わらず0円で、兄弟からの借金と石綿救済法から月約10万円の給付。前述のお子さんたちからの支援はないとのことです(同世代としてそのことを責めるような感覚にはなりません)。まとめると、兄弟からの借り入れ(20万円としましょう)と月10万円の給付の月30万円が月に使えるお金となります。ここから10万円は家のローンの支払いとなり、その他の生活費は兄弟からの借金から支払うことになります。
まさしく家計は火の車状態。

さて、みなさんはこういったアスベスト患者さんの状況をどう考えますか?ひとまず事実関係を。私の意見を述べる前に一まず休憩。

これこそがアスベスト患者さんの現状(まずは救済法の説明)

さて、これは記録しておかねばと思ったことを書いておきます。

昨日から石綿(アスベスト)健康被害救済法の給付を受けておられる方たちへのインタビューを開始しました。このインタビューは来年春に法改正が予定されている本法律の議論の材料として身内だけでなく、多くの方に患者さんやご遺族の状況を伝えて、より充実した給付体系・内容へと変えていく契機にしたいと考えています。

その前に、救済法のことを少し。この救済法は名前のとおり「救済」の法律です。国や企業からの「補償」を前提とした法律ではありません。公害健康被害補償法とは性格が違います。この法律はいわゆる非労働者を対象とした法律です。例えば、どこかの工場で正社員として働き、工場で扱っていたアスベストが原因の病気になったのであれば、労災補償補償や企業独自の上積み補償などを受けられる場合もあります。少なくとも労災補償は、国が運用する法律に基づいた制度なので一定の認定基準をクリアすれば医療費・遺族年金などの給付を受けることができます。

さて、2005年の兵庫・尼崎が当該地域となったいわゆるクボタショック。ここで問題となったのはクボタの工場(アスベストを原料にして水道管をつくっていました)で働いていた人以外、工場周辺に居住・通勤していた人の中にも工場から飛散したアスベストでがんの一種である悪性中皮腫や肺がんを発症している人がいることが明らかとなったのです。
そこで問題となってくるのが、これらの人々はクボタの従業員ではないことから労災の対象とはならなず、なんらの救済や補償も受けられていない状態にありました(さまざまな評価はありますが、のちにクボタはおそらく日本の公害問題史上もっとも手厚い救済制度を創設しました。その内容から私は補償制度と同一のものと判断しています)。

クボタの周辺住民の方の例をあげましたが、アスベスト被害で恐ろしいのは、クボタのように居住地や勤務地近くにアスベスト飛散工場があって被害にあう明確な「公害型」(ちなみに政府、もっと言えば環境省はアスベスト被害を公害とは認めていません。ぜひ環境省石綿対策室に電話で確認してみてください。「公害です」といったら教えてください)のほかに、被害にあう覚えがなかなか特定できないような事例もあります。アスベストが3000種類もの製品に使用されていたという一説があり、原因の特定が困難である事例が発生する理由の一つです。ただ丹念に話を聞けば、ほとんどの被害はある程度の原因は特定できるような気がします。

ともかく雑ぱくに言うと、そのような何の法的な支えがない方を対象に創設されたのが本法律です。
この法律では療養中の方には自己負担分の医療費が支給され、毎月10万弱の療養給付が支給されます。療養者が亡くなった場合は約20万円が遺族に支払われます。
救済給付の申請時に被災者が亡くなってしまっていた(あるいは申請中に亡くなってしまった)遺族には特別遺族弔慰金として280万円と特別葬祭料の約20万円が支払われます。

とまぁ、給付内容の説明はこのくらいにして昨日お話を伺ったTさんの事例をみてみましょう。給付が患者さんにとって十分なものかそうでないかの判断はそれからにしてくださいね。

ダダダダだぁーっと書きたいところですが、ひとまず休憩。

2010年8月10日火曜日

日本人とアメリカ、広島・長崎・敗戦。そして普天間問題

だいぶブログをさぼっていましたw

いや、さぼっていたというのは違って、書きたいことがあるときに書くのが私のブログのスタンスなのでまぁよいとします。

ところでそこまでして自分の考えをまとめておきたいと思ったテーマがタイトルにあるようなことです。
昨日、8月9日は1945年に長崎に原爆が投下された日です。最近は新聞・テレビにほとんどふれない(マスコミと官房機密費の問題の影響でしょう)日が多かったのですが、昨日はTBSのニュースクロス23(正式名かな?)で女優の綾瀬はるかさんが原爆被害地域の長崎を訪問し、被害者の女性と対話をするという特集が組まれていたので、少々拝見しました。

ここではその番組について全部をみていないので、評価することはできません。その番組をきっかけとしていろいろと考えたということです。


私はいま23歳になります。これまでの人生で沖縄戦の被害や広島・長崎での原爆投下についてのアメリカの犯罪性・残虐性を考えさせられる契機がほとんどなかったように記憶しています。大げさに言うと、親も、祖父母も、学校の先生も、友達も、テレビも、新聞も、誰も私に「アメリカが悪い!」っていう人たちはいなかったのです(わかりやくいように非常にざっぱくに言うとですが)。

8月の今頃になると原爆被害については被害者の苦しさ「のみ」が伝えられ、戦争を繰り返してはならないと念仏のように唱え、最大・最悪の敵国であったはずのアメリカ政府の違法性・犯罪性・残虐性を正面から問いかけるものが私にはなかったように思います。
それは原爆被害者の訴えからもです(あくまで私の経験上からの判断です)。「アメリカ(政府)が憎い。絶対に許さない」と、そのように訴えている原爆被害者に間接的にも触れことがありません。私は別にアメリカを憎め、と社会に訴えたいわけではないですが、あまりにもそのような声が出てない(社会的・道義的正しいか、間違っているかは置いておいて)社会状況は異常だと思うのです。当然、マスコミもその対象です。どこか一つのマスコミでも声高にアメリカ政府の犯罪性を正面から問う番組をつくったことがあるのでしょうか?おそらく今までにほとんどなく、それができないような構造をはらんでいるのが日本のマスコミの問題なのでしょう。

前鳩山政権で最大の政治課題となっていた普天間問題でも何人かの知識人は鳩山首相ではなく、アメリカ政府や官僚を注視することを問いかけていた方もいたと記憶しています。
あの問題のときもそうなのですが、少数であっても「アメリカは長年にわたって日本の領土である沖縄を自国の領土のように好き勝手つかってきた。ただちに出ていけ」くらいのある意味で気概のある意見が出てきてもよかったのに、少なくとも大手マスコミからは聞こえてきませんでした。

拉致問題であれだけ騒ぐ産経新聞も名ばかり右翼も、日本国民である沖縄県民があれだけ困っている姿を露呈させておきながら、はっきり言って無視。しまいに「仕事がなくなる」という本質論とはかけ離れた話を出す腰ぬけ状態。腰ぬけ状態は他の大手マスコミもおなじですが。

という感じで、この国、日本国民のアメリカ政府へほとんど厳しい目が向けられない状態に私の心はムカムカするのです。よし、誰も言わないなら私が弱小といえどもこのブログを使っていってやろう。

「オバマ大統領!あなたが率いている国は理由はともあれ1945年に日本国内において大量の死傷者を作り出しました。被害者やその遺族はまだ多く日本にいます。その人たちに理由はともあれ苦しめた行為をしたこと自体に対して謝罪をすべきと考えます。まちがいなく直接的な加害者なのですから」

だれかこれを英語に訳してオバマ大統領に伝えて頂いても結構です。まぁ日本にもこういうことをいう奴が一人くらいいても良いでしょう。馬鹿がどこかにいないと物事動いていきません。

2010年7月13日火曜日

バングラ調査日記4

ごめんなさい!

以下のメモでブログ書こうと思っていたらもう帰国w
とりあえずメモをアップです!

昨日は午前中に二つの解鉄作業現場を見学し、午後に事業者やマスコミと懇談をしました。



午前中に訪れた二つ目の現場には「asbesto」という倉庫があり。



午後の懇談では現場にマスコミがいれてくれないということでいいあいになっていました。



夜はチョドリ家(チョドリ先生と言って、今回の調査のコーディネートをしてくださった先生)でご飯。とても口に合う料理でした。





現地時間7月13日 午前8時50分

日本時間 同上   午前11時50分

2010年7月12日月曜日

バングラ調査3

バングラデシュ・チッタゴンなう!現地時間7月12日、午前7時57分。



昨日は調査1日目でしたが、午前中に解鉄工場(船舶の解体作業場)の現場視察をおこない、午後は雨が降ってきたので予定していた船舶解体に伴って発生した廃品を売っている露店とスラムの視察は延期に。代わりに「アーロン」という現地NGOが経営しているフェアトレードのショッピングセンターでお買い物をしました。



午前中の見学では、作業員の方は作業用マスクをしている人がいたり、ゴーグルもしっかりしていて、「この国にしては安全対策をそこそこしているんやなぁ~」という印象を持ちました。私はビデオ係なのであまり詳しく話を聞けませんでしたが、朝になって同行者に話を聞いたら昨日は比較的優遇されている労働者しかおらず、もっと作業環境が劣悪な労働者がいるようです。どうりで写真は撮れないと聞いていたのに撮れたわけです。向こうの経営者にとっても安全対策をしっかりしているというアピールになるという思いも少なからずあったようです。



現場視察の後は経営者の方と懇談。懇談終了後はチッタゴンの市街に戻り、昼食は午後2時すぎに。「中華料理風ビュッフェ」でした。

昼食後、アーロンにて買い物。買い物後にホテルに戻り、一日の予定は終わりでした。



夜はゲストハウスの近くにあるクラブハウスで食事だったのですが、ここがなんとも服装に厳しい。
サンダルはダメ。半ズボンもダメ。いろいろ主観的な基準が多いようで、私はスニーカーチックなこじゃれた靴を履いていたのですが、それもダメで、九部丈という少し変わったパンツをはいていたのですが、それもダメでした。靴は準備していただいて、パンツは腰パンでずりおろしましたw
ずりおろしたらシャツをズボンに入れろといわれてあえなく腰パンは断念。できるだけ目立たないようにズボンはおろしておきました。

なんとも基準がわからないですが、そんな一日でございました。

2010年7月10日土曜日

バングラデシュ調査日記2 バングラデシュ到着!

いま、現地の時間で7月10日の午後6時22分。日本時間でいうと午後9時22分になります。

さきほどタイのバンコク国際空港からバングラデシュのダッカへ(3時間あまり)到着し、ダッカからチッタゴン(1時間あまり)へ到着し、空港から車で40分あまりのゲストハウスへ到着しました。
長かった~w
7時からご飯です!


なんとダッカでは出国手続きに1時間40分も並んだのです。驚きと疲労感が抜群ですね。

久しぶりに来ましたが、バングラの空気感はなつかしいですね。個人的には大好きです。
相も変わらずお菓子は甘ったるい。

相も変わらず女性の働き手が少ない。同行している龍谷大の佐藤先生によれば、バングラの女性は親戚以外の男性と話すのは基本的に禁じられているそうで、私たちが町で声をかけても逃げられてしまうのではないか、ということです。

とりあえず途中経過です。

バングラデシュ・アスベスト問題調査日記1 1日目(日本ータイ・バンコク国際空港)

大変だったのです!

という前に、そもそもどのような経緯で今回の調査出発に至ったのかを説明しましょう。
立命館大学の政策科学研究科というのがあります。そこの教授の森裕之先生といって、アスベストの世界ではそれなりに名の知れた先生がいて、大阪・泉南アスベスト裁判や首都圏・建設アスベスト裁判の原告側証人として出廷されたりしています。森先生の師匠は公害問題では超一流の研究者である宮本憲一先生です。

森先生を中心に、立命館大学の政策科学研究科はアスベスト問題に取り組むチームを結成して、精力的に国内・国外へと調査へ駆け回っています。今回のバングラ調査もその一環で、これまで何度か森先生とお酒を飲む機会で私が「連れてってください!」とアピールしていたようですw(あまり記憶にはないのですが・・・)
ともあれ、そのアピールがあり、本調査へ参加のお誘いを頂き、参加の真っただ中なわけです。

さて、「大変です!」の本題です。
日本時間の7月9日です。午後4時前の新幹線に乗り、関西空港へ向かっていました。5時くらいでしょうか、新幹線に乗っていて寝ていましたがハッと目が覚めて、「あれ?パスポート持ってきていない!」と気づいたのです。もう絶望的ですよね。
ともかく降りなければと思い、名古屋で降りて、東京まで新幹線で引き返しました(当然お金もかかるのです)。東京まで戻る間に、同行者の方に連絡したり、飛行機で行けば間に合うかなもうダメかな?とか思いながら車掌さんなどのお力も借りて調べて、なんとか飛行機に乗れば間に合うとわかっても航空会社と電話がつながらなかったりでテンパっていました。なんとか飛行機はスターフライヤーの羽田―関空の最終便がとれました。

家に帰ってすぐにパスポートを取りに行き、なぜか阪神タイガースの金本ユニホームを着て羽田空港にいきました。完全にウケ狙いですね。少なくとも自己満足はしていましたw
関空へは午後11時過ぎに到着し、バンコク発の翌0時30分発の便にはなんとか間に合いました。参加者の皆様には大変ご迷惑おかけしました。
日本時間で午後6時くらいにはタイのバンコク国際空港に到着し、6時間ばかりの滞在を間もなく終え、バングラデシュのダッカへ間もな出発です!楽しみです!というか、すでに飛行機(タイ航空)の中で客室乗務員の方を観覧しながら「やっぱりタイの人もきれいやなぁ~」と思い、空港についても非日常の空間ですので色々とおもしろく感じています。
日本時間 7月10日 午前11時16分
タイ時間 7月10日 午前9時15分

2010年7月7日水曜日

映画『ザ・コーヴ』上映反対行動に感じる違和感

二日前のクローズアップ現代で「映画『ザ・コーブ』問われる“表現”」というのが放送されていました。

映画の中身は観ていないので何も言えませんが、番組ではこの映画が一方的にイルカ漁を批判し、市民団体(まぁ、右翼団体と言われるものですな。http://www.shukenkaifuku.com/)がそれに抗議しているという内容。

でもなんか笑ってしまいますねw
だってNHK自らが数年前に従軍慰安婦の番組制作に関して自民党の安倍と中川から意見されて削ってしまった部分があるのですからね。なんか、お前らが「問われる表現」とかいうテーマでできるの?って思ってしまう。

で、私としては番組に出演していたゲストの意見に賛成で、公に公開させて「議論する」ことが大切だと思っています。臭いものにはふたをして的なやり方は個人的には好きではなく、可能な限りオープンにすることが社会にとってプラスに働くと思っています。

ところで、私が良くわからないのは右翼団体の存在で、上映予定の映画館の前で上映中止を求める抗議活動や上映館の責任者の自宅にまでいって抗議するといった行為。ちなみに私も抗議行動は頻繁にしていますので抗議行動自体は否定しません(それも一つの非暴力による表現ですからね)が、市民団体と言われていた団体の名前が「主権回復を目指す会」にしては「敵が違うのではないか?」という率直な思い。

主権回復をしたいなら、北朝鮮とか韓国にブーブー言ってないで、標的は間違いなく「アメリカ政府」やないですか!
この映画に関して「太地の漁民をいじめるな」とかを掲げているようですが、これまでに一度でも基地問題で「沖縄県民をいじめるな」と主張したことあるのですかね?
まさか犠牲は必要などと、他国にドシっと占領されている状況を傍観するような考えは毛頭ないと期待を寄せたいところですが、この間の右翼の主張を聞いていると、なんとも腰ぬけがすぎます(こんなこと書いて抗議に来られたりしてw そうなってら私も一人前)。

時間があったら映画も観にいきたいですね。
ところで上映館は現在のところ六つの映画館だけのようです。その中に私が関西での生活時にこよなく愛していた京都シネマと大阪の第七芸術劇場が入っていたのはうれしい限りです。

2010年7月5日月曜日

消えた!

丹精込めて書いた土曜日の資源管理のシンポジウムの報告と昨日の高木基金の発表会の報告が投稿するときになぜか消えてしまってやる気ガタ落ちです(--〆)
そしてもう一度書く気力はなく、でもインプットという意味では消えましたが意識はして書いたのでいいといえばいいのですが・・・(このブログは人に見せるというよりインプットの役割をさせています)。
以下のメモを参考に書いたので、参考までに。

「魚が食べられなくなる?~漁業と流通、消費を問い直す~」
勝川俊雄(三重大学)
・情報収集。分析。政策設計。提言。情報公開。このバランスが大切。政策立案できるNGOが大切。いままで霞が関に○投げ。我々の側から求める。

パネルディスカッション
コーディネーター:井田徹治(共同通信)
・ステークホルダー。政治家、漁業者、官僚、消費者、研究者、市民団体、メディア
・個別漁獲枠、順応的アプローチ、予防原則、キャッチシェア、生態系アプローチ、認証、規制の強化、情報公開、研究の自由(誰でも情報に自由にアプローチできる権利)、らベリング、理解の増進、


高木基金発表会
アイリーン・美緒子・スミス
「ディベートをしっかりする」「開いた形でさまざまな団体と組む」「コスト・コストで押していく」「経済学者とタッグを組む」


これらの説明を書いて、最後に「連携」と「情報発信」に重点をおきたい、と書いたような・・・。
終わりにしますw すみません。

東京転居後、初の土日!

おはようございます!
消えたと思っていた数日前のブログを発見!とりあえずアップします。


少し東京の生活も落ち着き、今日の出勤で二日目です。



さて、昨日と一昨日は引越後、初めての土日でしたが、

土曜日はシンポジウム「魚が食べられなくなる?~漁業と流通、消費を問い直す~」に、

日曜日は「高木仁三郎基金 市民科学 研究成果発表会」にお手伝いとして参加しました。



個人的には、ゆっくり休む暇がなかったのですが、すごく元気に朝からブログを書いています。

大学時代晩年、そして就職して1年数か月はアスベストに関連のある集会にばかり参加していたので、他分野の集会は久しぶりでした。上記の二つとも参加した意義を実感し、我が学生時代は結構がむしゃらに社会問題全般の集会・講演などに参加していたことを思い出しました。やはり他分野との接点をなんでも良いから作っておくことは大切ですね。



土曜日のシンポジウムはスウェーデン環境党・欧州議会議員で『沈黙の海』の著者であるイサベラ・ロヴィーンさんも来日してEUの水産資源問題の枯渇について講演されました。

私が印象に残っているのは勝川俊雄(三重大学)さんが「情報収集・分析・政策設計・提言・情報公開。このバランスが大切。政策立案できるNGOが大切。いままで霞が関にまる投げしてきた。我々の側から求めることが大切」と言っていたこと。

またパネルディスカッションではコーディネーターの井田徹治(共同通信)さんが問題を考える際に「ステークホルダーである政治家、漁業者、官僚、消費者、研究者、市民団体、メディアの動きに注目する」ことを提起していた。井田さんの言葉では他に「研究の自由」(誰でも情報に自由にアプローチできる権利)という言葉が印象的でした。

シンポジウムについては以下のサイトを参照ください。

http://www.parc-jp.org/index.html





私が上記の問題意識で何を考えたのかと言うと、アスベスト問題も行政に対して「あぁせぇ、こうせぇ」と文句ばかり言わず(もちろん言うことは大切)、もう一歩踏み込んで具体的に政策案を提示することが大切ではないか、と思ったのです。

昨日の高木基金のプレゼンでも京都の学生時代にお世話になった反原発市民団体のグリーン・アクション代表のアイリーン・美緒子・スミスさんが何度も民主党議員を説得するのは「コスト・コスト」で攻めることを提起していたことも踏まえ、「相手にどれだけ具体的に数字を提示して、政策を改めさせるか」が大切になってくると実感しました。



また、アイリーンさんの活動報告を聞いていると、すごくアクティブなのです。他の発表者と比較して特筆すべきことは「海外の市民団体・メディアとの連携」です。

アイリーンさんの発表を聞いていて、「ディベートをしっかりする」「開いた形でさまざまな団体と組む」「コスト・コストで押していく」「経済学者とタッグを組む」と私のメモにはありました。



やはり、「連携」ですね。そして「情報発信」。しばらくの私の活動課題はこれらに意識を置こうと思います。

2010年7月3日土曜日

参議院選挙の投票に行ってきました!

引越などのバタバタでブログが少し滞ってしまいました。引越の前日の29日、期日前投票をしてきました。
私はてっきり東京での投票と思っていたのですが、投票の案内が引越前に届いて、何やら投票できるようでしたので投票をすることにしました。
たぶん、参院選の投票は初めてだったと思いながら、あれ?二回目かなとも思ってきましたw
たしか前回は現在みんなの党に所属している川田龍平さんの初出馬で私もそこそこ関心を持っていました。

でもたった一票の投票で、私の一票だけで何かが大きく変わるわけではないですが、投票の際はすごく緊張するものですね。「もし書き方を間違えていて無効票になったらどうしよう!」と思い、ついつい係りの人に「〇〇(候補者)さんの名前の書き方はこれでいいのですか?」と記入した投票用紙を見せて聞いたら、向こうはあわてて「すみません。私は見れないんです!」と言われてしまいましたw

私が投票した大阪選挙区は改選3に対して十名ほどの候補者が出る激戦区です。民主党から岡部マリさんという関西では有名なタレントさんが出馬していますが、ポスターのぱっと見で投票しろと言われたら間違いなく岡部さんですね。やっぱりタレントオーラはすごいなと感心しました。


でも、政策は雑ですね(民主党関係者の方みていたらごめんなさい(>_<))。私は一応、すべての候補者のホームページを拝見しましたが、岡部さんの政策提示は「やっぱり立候補させられているだけだな」というレベル。
私は特別に民主党の応援者ではないですが、民主党中心の政権でしばらく落ち着いてほしいとは思っています。ただ、この間の泉南アスベスト問題で政治との接点も多少とも持ち、どんな議員さんが一生懸命動いてくれたか、どこの政党はまったく動かなかったのかなど個人的には新鮮な発見がたくさんありました。そのような経験をもとに考えたとき、岡部さんに一票入れて当選させてもアスベストや環境問題で汗をかいてくれるかな?と考えてしまいました。
間違いなくポスターは一番いいのですがねぇ・・・・・・。


ということですが、今後も少なからず政治との接点はあるので誰に投票したとは言えませんし、岡部さんには投票していません!とも言いません(投票したとも言いませんが)。

ごく個人的な投票の話をしましたが、若い人はぜひ投票に行ったらどうでしょう。
無関心がおいおい自分の首を絞めることになりますし、私たち(今の20代)をとりまく社会情勢を作ってきたのは上の世代の責任でもあります。若い方は自分の将来のためにも、そしてより若い世代に後で文句を言われないように責任を自覚して意思表示をしましょう!

というわけで、投票の呼びかけでした。

2010年6月28日月曜日

クボタショックから5年

先週の土曜日に尼崎の小田公民館で開催された「クボタショックから5年」の尼崎集会に参加してきました。

みなさんは「クボタショック」をご存じですか?簡単に説明しましょう。
私が大学に入学した2005年のことです。JR尼崎線の脱線事故が4月にありました。すごく印象に残っています。そして6月末からだったと思います。それからその先数カ月間、毎日のように「アスベスト」「石綿」という文字を私は見ていました。

事の発端は何かというと、尼崎にあるクボタにおいて退職者も含めた従業員に多数のアスベスト被害者が出ているという事実を6月30日(だったかな?)の夕刊で毎日新聞がすっぱ抜いたのです。クボタでは1970年ごろまで水道管を製造し、その原料にアスベスト(しかも毒性が最も強い青石綿)を使用していたのです。たしかその日の報道ステーションでトップニュースとなり、翌日の大手新聞5社は一面トップでこの事実を掲載していたと思います。
それから従業員だけでなく、周辺住民にも被害がでているということも発覚し、関係者のみなさんも含めて社会がアスベストパニックの渦の中に入っていったわけです。

といった一連の動きがあり、それから5年を迎えたわけです。
私は当時、大学生で、アスベスト問題に全く関心がなかったですが、とにかく新聞をのぞいていてアスベストの文字が事あるごとにあったことは印象深く覚えています。その後、私は公害問題に関心を持ち、大阪・泉南地域のアスベスト問題の調査をはじめることになります。
調査地域は泉南でしたが、何かのきっかけ(思い出せません(>_<))で私は尼崎の患者さんの集まりに顔をだすようになっていました。 尼崎の患者さん、ご遺族のみなさんと集会で顔を合わせること、飲みにいくこと、私にとって今でもすごく楽しい時間です。泉南の皆さんと比べて個別の患者さん・ご遺族のみなさんとは被害についての話をまともにできる関係ではないので、集会などで発言される機会の話を中心に被害については学んできました。 土曜日の5周年の集会は午後12時半から始まって、最初の30分くらいは過去の報道を流していました。私の気になっている、あるおばあちゃんの映像も流れていました。その方はご遺族で、旦那さんを悪性中皮腫でなくされ、その後まもなく娘さんまでもが暴露経路が不明な形で悪性中皮腫にり患し死亡されたというケースの方です。亡くなった娘さんのお子さんと一緒に暮らしていて一番下のお孫さんはまだ成人していないので、なんとか成人するまではしっかり面倒をみてあげたいといつも訴えておられます。 と、そういう話はこれまでおばあちゃんから何度か聞いていたのですが、この前の集会の映像ではじめて亡くなられた娘さんのお顔を拝見して、すごく似てるんですねおばあちゃんと(親子だから当然なのですが)。顔を見たら、おばあちゃんから聞いていた話とクロスして、胸にこみ上げるものがありました。 他にも尼崎で知り合った方の中には私の母親と同じ年齢くらいで仲良くさせて頂いている女性の方、おじさん、おばちゃん、おじいちゃんがたくさんいます。尼崎で学ばせてもらったことがたくさんあります。 私が言うのも変ですが、泉南の被害者は間違いなく尼崎の皆さんに引っ張られてここまでたたかってこれたと思っています。私が尼崎で会う多くの患者さん・ご遺族は「まだ救済を受けられていない人たちがいる」という強い思いで活動を継続し、泉南の運動も大いに盛りたててくださりました。
これから東京で活動することになりますが、そんなみなさんの思いをどんな立場になっても忘れることなく、活動していきたいと思います。尼崎の患者さん、ご家族・ご遺族のみなさんが示してくださった姿を私は受け継いでいきたいです。


最後に、いろんな人たちに引っ張られてここまで来て、判決後は泉南アスベストのたたかいを本当の意味で自分たちの闘いにまで持ってきたすばらしい原告のみなさんと撮った写真を掲載します。

ちなみに動画もはじめました。YouTubeは以下のサイトからどうぞ

2010年6月24日木曜日

頭が混乱しています。

どうでもよいことしか書きませんので無視してくださって結構です。

ヤバいですね!twitterが。←ツイッターと読みます(読めない人もいるかもしれませんので)。
すごいんです!

twitterにクライアントと言って、自分のつぶやきやら、他人のつぶやきをきれいに整理してくれるサイトがいくとかあります。今日はhootsuiteというクライアントにチャレンジしようとしたのですが、相手の都合が悪くてサイトが休止していました。
代わりに「ついっぷる」という初心者向けクライアントにチャレンジしました。手続きは簡単だったのですが、私が感動したのは、そのサイトを通じて「ついっぷるフォト」というページにいくと、つぶやきと同時に画像も添付できるのです!ただただ感動です。

つぶやきと同時に画像が添付できる。感動そのものですね。こんな感動は生まれて何回目かです。
最近、いままであまり関心を持っていなかったインターネットに関わるさまざまな機能や利用方法に今までの自分ではありえないくらいハマってます。

昨日は携帯で大阪・泉南アスベストの宣伝行動の動画をとってyoutube(ユーチューブ)にアップさせましたが、画像が汚くて何がなんだかわからなかたのです。音はなんとかわかるのですけどね。
くやしくて今日はこれからヨドバシカメラに言って少し本格的なビデオカメラを買ってしまおうかと思っています。ついでに「スカイプ」というものにも関心があり、その機械も買ってしまおうかと思います。
いずれにしろお財布の中身と相談です。

さらに、さっきまでEVERNOTE(エバーノート)というサイトもいじっていました。これはまだどのように使っていいのかつかめていないのですが、とにかく話題になっているので手をつけてみました。
ありえないぐらいこの分野に好奇心が湧いてしまっています。
最近、親しい人に「ツイッターが恋人です」とふざけて言いましたが、本当にそんな状態ですw
というわけで今日はツイッター関連をいじり、エバーノートを手探りしてみてだいぶ頭が混乱しています。

あ~楽しい!


「楽しい」と言えば、昨日は久しぶりに大阪アスベスト弁護団の先生と飲みました。
終わったのは午前2時。最後は4次会、北新地の蕎麦屋さんで終わりました。アスベスト問題に取り組んで弁護団の先生にもだいぶお世話になり、北新地にも何度つれていってもらったことか・・・。
しっかりとこれからの活動で恩返しをしていかなければなりません!

2010年6月23日水曜日

大阪・泉南アスベスト第二陣第一回裁判スタート!

本日、大阪・泉南アスベスト第二陣の弁論がスタートしました。

今日は朝から雨が降っていましたがお昼には止み、少し蒸し暑いくらいでした。
お昼には約50人くらいが宣伝に参加し、久しぶりの宣伝は盛大になりました。


さて、「第二陣とはなんぞや」という話です。みなさんご存じのとおり5月19日に大阪・泉南アスベストの勝訴判決が出ました。これは1陣の裁判になります。1陣の裁判でも1次原告、2次原告と裁判中に続々と提訴して原告が増えていきました。一方で裁判は進行していきますので、ある程度のところで区切りをつけなければいけません。そこで、提訴をある時期に区切り、その時期からあとは「二陣」としてまた同種ではありながら別の裁判でスタートする、ということになります。


そして今日はその二陣の裁判が始まりました。では、一陣と同じように何もかも最初から審理するのかというとそうではなく、一陣の判決を踏まえた審理をしていくことになります。
いずれにしろ、第一陣の控訴審が10月頃に始まると思いますので、その進行具合に大いに左右されることになると思います。





















元派遣の「暴走?」 私たちはどう向き合うか

今日も暑かったですね。私は金曜日から東京に月曜日の夜中に帰阪しました。

今日も休みを頂いていましたのでのんびりな一日でした。
久しぶりに京都へ行き、複合型映画館で日本の映画を観てきました。『パーマメントのばら』(小池栄子の演技にまた感心)と『ヒーローショー』(やっぱり井筒映画は肌に合う、を実感)です。ともにお金を払ってみた甲斐はありました。

さて、そんな私ののんびりな一日でしたが、広島のマツダ自動車の工場では、元派遣工の男性が車で暴走して11人をはねて内一人を死亡させるというなんとも悲惨な事件がありました。詳細は以下を。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201006/2010062200239&rel=y&g=soc

お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。また、ご家族の方々は思わぬ形で家族を亡くされることとなり、悲しみで一杯だと思います。本当に許し難い事件です。


一方、私は「死刑にしろ!」、「頭のおかしい奴が偶然おこした事件だ」、という安易な思考回路でこの問題を消化させてはならないと思っています。
事件そのものはたしかに許されざる行為ですが、加害者をとりまいている昨今の社会状況にも気を配る必要があるのではないでしょうか。「加害者となってしまった男性は、きっとトコトン追い詰められて、愚痴のはけ口や厳しい社会からの逃げ道を完全に失ってしまったのだろうなぁ~」と自転車に乗りながら考えていました。

このような事件が起こったとき、安易な自己責任論を流布してはいけないし、それが不当であることは湯浅誠さんはじめ貧困問題に取り組む方々の著書がその多くを示していると思います。

東京・新宿を歩いていても、梅田を歩いていても路上生活者の方々がいます。
そのような光景をみるたびに私は何もできていない自分がなさけなくなります。なんとも言えぬもどかしさがあります。
私にとって最大の「溜め」(これをご存じでない方はぜひ湯浅誠さんの著書を!)は「両親」です。湯浅さんの著書を拝見したとき、一生懸命働いているのにこの「溜め」がないばかりに、どんどんそこへそこへと突き落とされる事実についてリアリティーを感じることができました。
私の場合、両親という溜めが無くなったときはどうなるのか・・・・・・。これを考えただけでゾッとしますし、いかに自分が幸福な溜めに守られているかを実感しました。一方で自分も何かのきっかけでとことんどん底へ落とされる可能性を十分に秘めているとも思っています。

だから、みんなでみんなを支えあえる社会を少しずつ作っていきたい!そう思う今日この頃です。

2010年6月20日日曜日

独断!各党マニフェスト評価(アスベスト限定)

少々、遅くなりましたが先日、各党からマニュフェストが発表されました。

そこでアスベスト問題について各党でどのような記載があったのか確認しておきます。
残念なことに記載がなかった政党が多々ありましたので、まず以下にそれをあげておきます。

〇2010年マニュフェストにアスベスト問題関連の記載がなかった政党
①民主党 ②国民新党 ③日本共産党 ④みんなの党 ⑤新党改革 ⑥たちあがれ日本

次に、
〇何らかの記載があった政党
①自由民主党 ②公明党 ③社民党
※新党日本は候補者不在

以上のようになっています。正直、マニュフェストを確認する前は気合が入っていましたが、最初に確認した民主党からいきなり「アスベスト」「石綿」という文言がなかったのには非常に残念でした。「つい数週間前まであんなに各大臣たちで騒いでいたのに・・・・・・」という思いです。
ここで記載のない政党への愚痴を垂れても何もはじまりませんので記載のあった三党の中身を比較してみます。以下、それになります。


自由民主党 「自民党政策集 J-ファイル2010」
49 アスベスト対策
 総合的なアスベスト対策を早急に図ります。国と企業の責任で、救済のための基金の創設を検討します。
185 公害健康被害対策等の着実な実施
 水俣病問題の解決、アスベスト被害者の救済やアスベスト対策に取り組むなど、公害健康被害対策を着実に実施します。(以下、省略)

〇公明党 「公明党 マニフェスト2010」
未来の人類のために持続可能な社会を構築安心して暮らせる環境を確保
化学物質から健康を守る体制を強化
(前略)
 石綿健康被害者に対して隙間のない救済を実施するとともに、今後の被害を未然に防ぐための対応を急ぎ、アスベスト対策基本法の制定を検討します。(以下、省略)

〇社民党 「Manifesto2010」
再建08 もっとグリーン 地球温暖化ストップ 低炭素社会へ
水俣病やアスベストをはじめとする公害問題の全面解決と補償・救済を実現します。

記載があった点をピックアップすると以上になります。みなさんはどんな評価を下しますか?

私は以下の三点を評価の視点としてみました。
1、現在おきている被害にどう対応するのか。
2、建物解体など、今後も可能性が高くある石綿の飛散と暴露防止にどう対応するのか。
3、上記二点を含めて、アスベスト問題の解決をどのような形で目指すのか。

そうすると、「独断!各党マニフェスト評価」の順位は、

1位 公明党
理由:これまで発生した被害に対する隙間ない「救済」という文言は現在の石綿健康被害救済法の枠組みを超えるものではないと判断し評価できないが、今後の被害防止の必要性が認識されていることは評価できる。アスベスト対策基本法を制定するとの記載もあり、おそらく中身のイメージはまったくと言っていいほど空っぽだと想像できるが、総合的にみて現行のアスベスト対策だけでは不十分だという認識はあるのだろう、と判断した。

2位 自民党 社民党(同順位)
理由:個別での評価は割れるが、上記の評価視点に照らして総合的に判断すると優劣をつけるのは難しい。自民党は「国と企業の責任で、救済のための基金の創設を検討」とあるが、いまの救済法と何が違うのか判断しづらく、おそらく文言だけが歩いているのだろう。その点、社民党は中身のイメージはないと想像できるものの「補償」を前提とした被害者への対応が必要だと認識している点は評価できる。
 ただ、社民党は今後のアスベスト暴露防止の必要性に対する意識があるとイメージできる文言はなく、自民党は「総合的なアスベスト対策を早急に図ります」とあり、こちらも中身はないとしても今後の暴露の問題を含めて現状では問題が十分に解決されていないと認識している、と想像できる。かと言って、長期的にどんな構想を持とうとしているのかは提示されていないので、同じく長期的な構想に対する記載がない社民党と長期的なプランの提示ができていない点は同じである。したがって優劣がつけがたい。


といった具合になります。記載のない政党は評価のしようがありません。これまでの経過を踏まえると「記載のない政党は問題外!」というわけにもいかず、「ただただ残念」としか言えません。

これを見ている政党関係者の方がいたら、今からでもかまいません。プラスαで付け加えてください!
参院選後はまた各党の皆様にお世話になりますので怒らないでください(>_<)

2010年6月19日土曜日

ご報告二点。

みなさん

といっても誰がみているのかわかりませんし、もしかしたら誰もみていないかもしれないので意味があるかどうかわかりませんが、報告が二点あります。

まず、ひとつは「転職します」ということです。
現在、全日本建設交運一般労働組合関西支部の労働災害職業病担当として働いていますが、6月末を持ちまして退職することとなりました。お世話になった皆様ありがとうございました。組合では1年3か月働きましたが職場環境はものすごく良かったです。人間関係で心苦しいと思ったことは一度もありませんでした。

転職先は東京・亀戸にある石綿対策全国連絡会議です。名目的には全国労働者安全センターになるようです。お金の関係とかでですね。現在の職場を辞めたくなったというのはまったくなく、東京で活動したいという思いと、新たな職場にはこれまでアスベスト問題に取り組んできた方が何人もいて、自分がアスベスト問題に関わっていくにはこちらで経験を積んだ方が良いと判断いたしました。
昨日、さっそく新たな職場に顔見せにいったのですが、どうやら私をどんな風に使うか構想をいろいろ練ってくださっているようで、私としてはうれしかったです。中には香港のNGOで半年くらい修行させようという話(結構、本気の話です)もありました。何がどうなるか、とことんやれることはやってみよう!と今からワクワクしています。

ちなみに、家は亀戸駅から歩いて15秒のところに決まりそうですので、亀戸で飲んで帰れなくなったらどうぞ休んでいってくださいw
とりあえずのご挨拶を泉南アスベストの原告さんにもしたのですが、何人かの原告さんからお返事をいただきました。「寂しいですね」というものから、「(澤田が東京にいって頑張ろうとしているので)私も頑張ります」といったものまであり、とてもうれしいです。私は東京にいきますが、泉南の原告さんとは今後もともに頑張っていこう、とさらに強く決意いたしました。

ご報告の二点目は、「中毒にかかりました」ということです(ここからはしょうもない話なのでスルーしてもいいです)。

恋愛中毒です!といいたいところですが、そうではなく、twitter中毒になりましたw
みなさんはツイッターをしていますか?
「あんなものするか」という方がいることは承知していますが、「ぜったいにしない}と言っていた政治家(自民党代表の谷垣さん)や文化人(江川詔子さん)などいまとなっては、中毒患者でしょう。後者は間違いなく中毒患者です。
私もパソコンを開けばツイッターをチェックしていろいろいじるわけです。この前は夜ごはんも食べずに遅くまでいじってしまいました。おもしろいのです。

使い方はみなさんしだいです!しょうもない、と思っている方はぜひ使ってみてください。ブログと連動させてもいいですし、あくまで情報発信ツールの一つという考え方で使ってみてください。
私のツイッターは以下からご覧ください。
http://twitter.com/sawadyi

特に、喫煙者の方は一服するより一つぶやきした方が自分にとっても社会にとっても有用だと思いますのでタバコを吸ってもいいですが、まずはつぶやきましょう!と言いたいです。
禁煙してから早くも200日。すっかり喫煙者に厳しくなりました。

2010年6月16日水曜日

みなさんは「裸踊り」をしてますか?

最近、というか今日も、ツイッターで頭がいっぱいです。良く理解していない昨日にチャレンジしてフォローしているみなさんにいらん情報を流してしまったのではないかと少し不安です。

いいですねぇ~ツイッター。「タバコで一服するなら、つぶやけ」という格言とまではいかずとも禁煙中(もうぜったいにすいません)で歩きタバコに不快感を持つ私はそんな言葉を思いつきました。

さて、タイトルの「裸踊り」です。もうご存じですか?
事の経緯はツイッターの鳩山首相のつぶやきからです。以下、がそれです。

「新しい公共」が一人歩きを始めました。こんなに嬉しいことはありません。私に「裸踊り」をさせて下さったみなさん、有り難うございました。その私に続いて「裸踊り」をしようと立ち上がって下さったみなさん、有り難う。この伝播力が必ず社会を大きく動かすでしょう。 webから


上記のつぶやきがいろんな憶測を呼んだのですが、翌日に以下のつぶやきがありました。

「裸踊り」 答えはこの動画にあります。 http://bit.ly/aP3bhd 官だけでなく国民全体が公共を担う「新しい公共」の理念。私はその理念と共に、動画の中の青年のように、踊り続けていきたいと思います。 webから

ということでまだ動画をみていないひとはぜひご拝見を!

鳩山さんはちゃめっけありますね。こういうセンスのつぶやきができる首相はやめてしまいました。本当に私たちは鳩山さんをこのような状況になるまで追い詰めるべきだったのか?そんな戸惑いがあります。もっと裸踊りをしたかったはずですが、もう一人目のバカにはなれない立場です。少しかわいそうになります。

私はこれからどんどん裸踊りをしたいと思います。みなさんも一緒におどりましょう!

私達は鳩山前首相に騙されたのか?

今日はよくいく中華料理屋さんでお昼ご飯を食べました(そんな私的な話はどうでもよいのですが)。
そこは値段も手頃でおいしく、毎日新聞が置いてあるということも私のお気に入りです。
ちなみに私は新聞を定期購読していませんし、毎日新聞に陶酔しているわけでもありません。赤旗も目を通しますし、産経新聞も読むときがあります。聖教新聞はあまりないですが。

毎日新聞に目を通していると、佐藤優さんが「異論反論 佐藤さん!鳩山さんの辞任の原因、どう見る?」「外務官僚の「クーデター」」という記事がありました。
内容を端的に言うと、鳩山前首相には官僚のトップという立場と国民の代表としての立場がある。これまで外交は官僚が主導権を握り、官僚は無知蒙昧(むちもうまい)な国民から選ばれた国会議員に任せると国益が損なわれると考える。そのような考えは官僚たちの「集合的無意識」であり、それこそが政権交代をしても官僚の決定は覆すことはできない、との官僚達から鳩山政権、そして国民に現実を突きつける象徴的な出来事であったとしています。

湯浅誠さんや、あるいはさまざまなブログなどで一方的な鳩山批判をすべきではないというメッセージを込めた文章などがいくつかありますが、私も同感しています。わたしも含めて国民の多くが、そして沖縄県民のみなさんの多くが光をみつけ、期待を寄せました。普天間問題について、正直、私も残念です。が、政権のトップに私達は圧力をかけてきましたが(それ自体は民主主義の意思表示ですから問題ないと思いますが)、鳩山さんは国民からも官僚からもマスコミからも連立政権内からも、終盤は圧力をかけられ、逃げ場がなくなってしまったのかなぁ、と思うこともあります。
私達が対峙すべき相手は、本当の相手は誰なのか? そのことを意識して今後の運動を進めていきたいところです。

ところで、毎日新聞の社会面には冤罪の可能性がある痴漢事件が記事になっていました。犯人とされた青年は自殺し、いま母親が必死に無罪を訴えているようです。お母さんの年齢が53歳と私の母親とあまり年齢が変らないので、なんとも感慨深いものがあります。
一人ひとりが頑張って弱い立場の人を一人でも楽にする、そしてお互いに支え合う。そんな社会のより豊かな実現に向けて頑張っていきたいです。

アスベストの運動がおいてけぼりにならないように

ワールドカップで日本代表がカメルーンを破ってから丸一日半が経とうとしています。

私はしっかり試合終了まで日本の負けを期待して観ていましたがダメでしたね(途中からは同点を期待していましたが)(>_<)

最近は雨もたくさん降って、なんか嫌な感じです。



さっそくですが、みなさんはもう『オルタ』(3・4月号)を読みましたか? この雑誌を発行しているのはPARCという国際協力NGOなのですが、私も会員になっています。会員でありながらまともに目を通したのはこの号がはじめてでした。(>_<)

特集は「政権交代と社会運動」ということで湯浅誠さんと弁護士の東俊裕さんの対談になっています。
そこで障がい分野における制度改革推進会議というものが紹介されているのですが、なんとこの会議は26人のメンバーのうち15人が障がい者かその家族で構成されているそうです。
また、「新しい公共」の円卓会議などtwitterは使うは、ustreemでダダ漏れ生中継させるわで、知れば知るほど驚きです。
驚いてばかりいてはいけなくて、アスベストの運動もこのままではいけない! と少し危機感を持っています。情報のオープン化という観点で言えば、アスベストに関わる審議会などはそれらに比べればまったくおくれた行政ですし、わたしも含め運動側も疎い部分が多分にあります。

私は現在、twitter中毒と言ってよいくらいそれにはまってしまいました。中身と可能性を知り、活動への援用を想像しただけでもう気分はウキウキです。
禁煙してすでに200日。たばこで一服するなら、twitterでひとつぶやきしたほうが愉快です!

2010年6月14日月曜日

<日本初戦!>サッカーワールドカップ

みなさん、いよいよ開幕です!日本が勝つように祈りましょう!

と、タイトルの流れから期待されたかもしれませんが私は日本の勝ちにはまったく興味ありません(^。^)
サッカーワールドカップにも興味ありません。強いて言えば、日本が負けたときの社会の、マスコミの反応がどうなるのかものすごく興味があります。
はじめに言っておきます。私は非国民ですw

日本代表の中にとんだおとぼけコメントをしている選手がいました。「日本を背負って頑張ります」、というものです。何を勘違いしているのだろうかと非国民の私は思ってしまいます。少なくとも私はそのコメントをした選手に私の人生の何も背負ってもらっているつもりはないし、日本国籍を所持するものとして何も背負ってもらっているつもりもありません。
そもそも国家という単位を基軸にサッカーの対抗試合をするという発想がなんとも時代遅れの感があります。サッカーワールドカップってそんなに魅力的ですかね?
クラブワールドカップというのもありますが、私はあっちの方が魅力的だと思うんです。単純に国家を超えて一流スターたちで構成されたチーム同士が試合をする。なんとも健全な大会だと思いますが・・・・・・。レベルもこちらの方が当然高いですよね?たぶん。


と、サッカーと日本国をともに愛する人々からおもいっきりののしられそうなことを書きましたが、今日はなんと福岡高裁が国が生活保護の老齢加算を廃止したのは違法である、と判断を下したそうです。
私はこの種の活動に全く関わっていませんからど素人ですが、すげぇ判決が出たなという思いがあります。しかも控訴審ですからね。詳しくは以下をご覧ください。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100614/k10015101671000.html

私は今日の判決はワールドカップの日本の勝敗の何百倍も価値あるものだと思います。「おまえはサッカーに興味ないからそんなこというんやろ?」と言われそうですが、そうではなく、そんなことに関係なく私たちの生活に関わっている福祉の向上(回復?)に一石を投じた判決として日本に住む人みなに関わってくるものだと思います。
ワールドカップよりも、この問題の特集を組んでくれたらうれしいのですが、まだこの社会はそんな状況ではありませんね。社会の盛り上がりの陰にかくれてこんなことがありました、という報告でした。

さて、今日は11時から日本の初戦を観ますのでこのへんで(*^。^*)
もちろん、「日本、先制されました~」という実況を一番に期待しています。

by非国民

2010年6月10日木曜日

アスベスト裁判<対日本通運・ニチアス>傍聴記

いつも一日遅れの報告ですみませんが、今回は二日前のことを報告です。

6月9日、大阪地裁1010号法廷でアスベスト被害を受けた方のご遺族が日本通運とニチアスを被告として損害賠償を求めている裁判の傍聴に行きました。名前を出して問題ないと思うのですが一応、原告の方をYさんとしておきます。被害を受けたのはYさんの父親で、悪性中皮腫(アスベスト被害特有のガン)に罹患してすでに死亡しています。

まず問題を簡単に整理しておきますと(なお、私は当該の人間ではないので細かい点を理解していません。間違っている点もあると思いますが流れをつかんでいただく意味で必要と思います。どうかご容赦ください)、Yさんの父親は1960年前後に日本通運の社員としてニチアス(当時、日本アスベスト)奈良・王寺工場内に常駐して、アスベストの積み卸し作業をしていました。アスベスト原料が入った袋が破れていたこともあったようです。

退職後、胸水がたまっていることがわかり悪性中皮腫と診断されて亡くなっていきました。悪性中皮腫発症後、アスベスト暴露との因果関係をセカンドオピニオンの医師から説明され、生存中に日本通運とニチアスに対して補償などを申し入れていましたが誠実な対応をされないままYさんのお父さんは亡くなられました。その後、YさんとYさんの姉、Yさんのおじさん(Yさんの父親の弟)が原告となり訴訟へと踏み切った、という経緯があります。

これまで私も何度もYさんの裁判の傍聴にいきました。この種の裁判は、最初の1~2年は法廷が開かれても10分~20分程度でその日の審理が終ってしまうのです。何をするのかというと、原告・被告双方から提出された資料の確認(裁判中に何度もお互いの意見を書面提出して反論しあうのです)と次回の日程確認、裁判進行にあたっての意見などが原告側あるいは被告側から出される、といったやりとりです。

私は最初に大阪・泉南アスベストの裁判にいったとき、少し気合いを入れて傍聴にいったのですが、ものすごくあっさりとほとんど中身のないものだったので驚いた経験があります。単調な審理が一定期間続き原告・被告双方の意見が落ちついてくると、それらを机上の空論で終らせないために互いに「証人」を登場させて審理をおこなっていくわけです。これがテレビで良く見る裁判風景であり、これが裁判の醍醐味の一つでしょう。なぜ今回、Yさんの裁判の傍聴記を書いているかというと・・・・・・。


そうなんです! やっと裁判が証人尋問に突入したのです。
午前中にYさんの原告本人尋問。午後に被告側証人二人の尋問がありました。私は午前中原告本人尋問の主尋問部分だけの傍聴しかできませんでした。尋問には主尋問(原告側弁護団からの質問)と反対尋問(被告側からの質問)があります。傍聴者が多数いて、任意で交代をしました。

Yさんは主尋問の最後に、弁護士から最後に言いたいことを述べてくださいと言われると、「ここまでこれたのは裁判所の皆さん、応援してくださった方々がいてくださったからです。ありがとうございました」と述べておられました。
裁判終了後の報告集会でYさんは「ここまでくるまで本当にヘロヘロになることもありましたが、弁護団の先生はじめ、ご支援くださった皆様のおかげです」と涙ながらに話され、Yさんはじめご家族の方々の肉体的・精神的なしんどさが私が想像していた以上であったことを痛感しました。

秋には結審し、来年には間違いなく勝訴判決が言い渡されるはずです! 思い込みではなく、この裁判の裁判長は他のアスベスト裁判でも被害者の意をくみ取ってくださる傾向があるのです。
引き続き、ご注目・ご支援をお願いします。

日本と戦争

すでに日付が変更されてしまいましたが、昨日のNHKクローズアップ現代で「イラク戦争を問うー英国・検証の波紋ー」が放送されていたのでみることにしました。

ざっと内容を説明すると、アメリカ主導のイラク戦争にイギリスはフランスやドイツが反対する中、国連安保理の承認がないまま無批判に軍隊を派遣してしまった。イギリス軍では200名近い軍人の死亡や莫大な税金が使用された。昨年(2009年)からイラク戦争突入に至った経緯を検証するため(決して特定の個人の犯罪性を問うものではなく)、独立調査委員会をたちあげて当時の首相や政府意思決定に関わった関係者から公開で聞き取り調査をおこなうなどの作業がなされている。それらはインターネットサイトにおいてすべて公開され、すでに80人以上からの聞き取り調査をしている。それらも含めた調査結果報告は早ければ年内に出される予定である、というものでした。

2001年9月、私は中学3年生でした。当時、放送していたタモリのジャングルテレビ(だったかな?)をみていると突然、映像が変わって、飛行機がビルに追突している映像が流れました。しばらくすると別の飛行機がさらに追突。あのときの私は9・11の衝撃よりも、観賞途中だったテレビ番組がいつ再開するのか、再放送はあるのかということの方で頭がいっぱいでした。それから世界はしだいにさわがしくなって、2003年にアメリカがイラクに空爆を開始。私はテレビでみていたと思います。
ただ、いずれも事の重大性がわからず、「よくわからないけど何か結構たいへんなことが起きているんだな」という程度の認識だったと思います。

大学に入り、お世話になった教授が口を酸っぱくして「戦争」に対する認識を深めるように言っていたことから私は9・11やイラク戦争をはじめ、日本の第二次世界大戦を考えるようになりました。教授は単に左翼的な思想から過去の戦争体験などを観念的に学び護憲などの意味を学生に学ばせるといった類の指導ではなく、現代においてもあふれている戦争へ進みかねない要素があり、そのような要素を感じ取る能力を過去の経験から学ぶ大切さを説かれていたのだと思います。
確かに「憲法9条を守ろう」といった類のスローガンは間違っていないし、私も同じ意思を持っていますが、それを声高に叫んでいるだけでは思考停止状態に陥り、敏感さに欠ける危険性があると思っています。

さて、私が今日のクロ現(NHKの記者さんはこのように略すのです。)を取り上げたのは、日本では何らイラク戦争への関与に関する公的な総括(言葉が古いですかね?)がなされていないことの不満があるからです。私は専門家ではないですから、イラク戦争の経緯や日本の関与に精通しているわけではありません。ただ、間違いなく日本はイラクに自衛隊を送りアメリカ軍の兵士を戦闘地域などに移送し、昨年も話題になっいたアメリカ軍へのエネルギー供給などを事の本質を顧みず無批判におこなってきた事実があります。イラク戦争への加担の重大性を十分に検討することなく当時の小泉首相はアメリカに手を貸した、と認識しています。

私はどんな形にしろ日本がイラク戦争への間違った関与をしたことは明らかだと思いますが、それが多くの国民の、また多数の国会議員の認識だと思いますが、私の知る限り検証作業が公的に日本ではおこなわれていません。
沖縄の普天間基地移設問題の際にも、現在に至っても日米安保の問題が国会で真剣に議論された経過がありません。アメリカの番犬となって世界の戦争に関与してきた約半世紀の検証をしていかなければ、日米安保を真剣に考えていかなければ、日本は再び大きな過ち(私は第二次世界大戦における日本政府の方針を批判する立場です)を犯す危険性があります。

戦争検証をできるチャンスはいまの政治情勢で十分にあると思います。政治家任せにせず、国民の意思を政治に反映させるよう一人ひとりが頑張りましょう!

2010年6月7日月曜日

環境・公害運動は今後、どれだけメディアを有効に使えるか

たいしたことは書きませんが、最近、TwitterやUSTREAM、UTUBEなど何ていうんでしょうか?そんな類のメディアに興味を持っています。まだぜんぜん素人なので使いこなせてはいません。ブログもその一つです。

若者風に言うと最近のそれらの流れは大激流で(ifoneやipadの登場が大きいと思いますが)、活動家(英語で言うと、アクティビストと言うようでそちらの言い方のほうがかっこ良いですが)としてはこの流れに乗っていかないと時代遅れの運動になっていくと危機感を持っています。

そんなんで今、一生懸命、いろいろネットをいじって新しいものを探したりしています。今日は全然べつの件で本屋に立ち寄ったところTwitter関係の本を5冊も買ってしまいました。本を買うと安心感と満足感が得られるという悪い癖があります。週刊金曜日は日米安保の問題がらみでの購入です。
活動家の先輩方の中には安易に時代の流れに乗ることを毛嫌いしたり、Twitterなど馬鹿にする人もいるかもしれませんが、要はそれらをどのように上手く組み合わせて運動に取り入れていくかが大切になってくるのだと思います。私はまだ全然、使いこなせていませんが必ず、メディアの高度な活用は次世代の活動家に求められる課題になってくる(いや、もうなっているかも)と思います。

一年前の6月6日

一日遅くなりましたが、昨年6月6日の出来事を少しだけ記します。

昨年の6月6日の未明に大阪・泉南地域に住んでいたアスベスト患者さん(以下、Sさん)が亡くなりました。私にとって、自分が知っているアスベスト患者さんの中ではじめての死亡者が出たという、かなりショッキングな出来事でした。

前日、5日の朝。他のアスベスト患者さんの関係者からSさんの具合が悪く、病院に行っても奥様も会ってくれないので病院にお見舞いに行ってほしいと電話がありました。私は学生時分から患者さんたちとお付き合いしていて、Sさんの奥様とも顔なじみであり、これといった肩書などありませんでしたので色んなことが話やすい立場にあったのだと思います。私は出張で東京にいましたがお昼に仕事が終わってすぐに飛行機に乗ってSさんが入院されていた和歌山の病院に直行しました。

Sさんの奥さんは日頃、明るくとても元気の良い方でしたが、私が病室のドアを開けてベットの横で座っている奥様の表情をみたときはまるで別人のように力が抜けきっていました。Sさんはすでに意識のない状態で酸素吸入器をされながら、ベットに寝ていました。奥様と顔を合わせるなり、互いに泣き出していました。
小一時間のお見舞いを終えて、その日は家に帰りました。日付が変わって6月6日の午前2時半くらいだったと思います。奥様から電話があり、「ありがとうね」と第一声がありました。最初はお見舞いのお礼の電話だと思いましたが、その後、亡くなられたことを伝えられました。何をどうしてよいかわからず、私が何かをしたところで何も変わらないのですが、とにかく外に出てタクシーを拾って泉南市にあるSさんの自宅に向かいました。
私がSさんの家についたころ、Sさんも病院から運ばれてこられたところでした。
奥様も含めて何人かのお身内の方とお話をさせていただき、私は身内でもなんでもないのでお顔を拝見させていただくことは控えました。今考えるとなにも考えずご自宅にお伺いしたことが恥ずかしいばかりです。

もうあれから一年かという感じで、私にとっては泉南アスベスト国賠の判決以上の衝撃があったように思います。一年前の6月6日前後に、私はかなり衝撃的なご家族の苦しみの一端を見て、亡くなられあと私はSさんの死を頭の中で可能な限り意識しないようにしました。本当につらくて、悲しくて、それらから解放されるには意識しないことが一番だと思い、私が死の直前・直後に見たもの感じたものは思い返そうとしませんでした。
まだまだ怖くて、あのときのこと、Sさんの死と真正面から向き合える余裕はありません。

奥様はSさんの死後、泉南アスベスト国賠訴訟に遺族原告と加わりました。今では原告団を引っ張っていく一人として、いつも涙ながらに力強くSさんの無念を訴えておられます。
アスベスト問題の活動に携わっている私としては、患者さんとご家族と向き合う努力を今後も続けていきたいと思います。すごくしんどい面もありますが、それが活動の原点だと思っています。

2010年6月5日土曜日

細く長く

忘れないうちに、ということで報告しておきます。

泉南アスベスト国賠訴訟の大阪地裁判決が出た後に約二週間、東京の厚生労働省・環境省前(二つの省は同じビルに入っています)や総理官邸前、国会議員会館前などで座り込みの宣伝行動をしていました。
国をうごかしている中心地(本当はこういう言い方はしたくないのですが)ですので私たち以外にもたくさんの方が宣伝行動をしています。たとえば、B型肝炎訴訟原告団、中国政府から迫害を受けているらしい法輪功という気功団体、外国人参政権反対の団体(私から言えば右翼です。普天間問題にまったく首を突っ込まない右翼はまったくの根性無しですね)などが活動をしていました。

そんな中、私が少し前から目をつけていた方々もおられ、少し話をすることもできました。
それが「普天間基地撤去」を求めて議員会館の前で座り込みをしていたおばあちゃんたちです。
以前、私が議員会館でロビイングをしていたときから認知していましたが、あるとき国会図書館に立ち寄った帰り道でこのおばあちゃんたちを見ました。結構、大きな荷物だと思うのですが、あのお年寄りがよく押しているカート?の上に荷物を載せながら帰る途中でした。

労働組合や右翼団体の運動と比べればもの規模もある種の実行力もすごく小さな運動です。
でも私はあのとき、「自分もジジイになったとき、杖をつきながらでも、どんな小さな運動でもいいから運動にたずさわっていたい!」と思いました。間違いなく、おばあちゃんたちは自分の意思に基づいて意思表示の活動をしています。どんな形でもいいから一人ひとりが意思表示をすることが民主主義確立の第一歩だと思います。老体ながら運動を続けているその姿勢に頭が下がりました。

そんな気になっていたおばあちゃんたちのもとへ泉南アスベストの活動の途中(すぐ近くでお互いに座り込みをしていましたので)にあいさつにいきました。
「辺野古(筆者注ー沖縄の一地域。普天間基地撤去後の移設先とされている)の人が東京で座り込みをしたいけど現実的になかなかできないって言ってたんです(筆者注ー辺野古でも座り込みをしているから)。それを聞いたとき、辺野古の基地移設の問題は東京に住んでいる私たちの問題でもある、と思って座り込みをしているんです」と話してくださいました。
誰でもそんなかっこ良い言葉は結構、言えると思うのですが実際に行動に移している姿勢が大切であり尊敬してしまいます。

おばあちゃんたちは毎週月・木に議員会館の前で座り込みをしています。通りかかったときはぜひご声援を!
なんと一人のおばあちゃんとは日本消費者連盟の会員同士ということが発覚しました。 死ぬまで活動家。そんな自分でありたいと思います。












大阪・泉南アスベスト控訴阻止行動終了

ご無沙汰しておりました((+_+))
久しぶりにブログを開いたら、判決後も何度かブログでの報告をしていたのかと気づきました。
ほとんど毎日、朝から晩まで(時には午前0時近くまで)宣伝行動とその準備に忙殺されてました。

ご存じの方も多いと思いますが結果は以下のサイトをご覧ください。私から言えば「勝利か敗北か」と言えば結果的には後者だと私は認識しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100601-00000071-san-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100601-00000021-jijp-soci.view-000
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100602-00000055-jij-soci

今後、新聞資料など整理して総括報告などしていこうかと思います。
いま、私は「控訴断念に至らせるまでいったい何が足りなかったのか」を考えています。それは内的・外的要因を含めてです。弁護団の先生の中から、国の方針が決定され、東京での活動を終えるとき「私たちにできることは全部やった」という発言がありました。このコメントは私から見てもほぼ間違っていないと考えますが、事実として国に控訴断念をさせることができなかった現実もあります。

私から言わせれば、ものすごくすげぇ~ことができるあと一歩のところまで来ていました。残念です。

最後に、「もう仙石さんの顔は見たくもありません」。
by、原告某

2010年5月24日月曜日

大阪・泉南アスベスト控訴阻止行動第二クールスタート

今週がいよいよ山場でしょう


控訴阻止に向けて原告のみなさんがんばっています。生まれて初めて東京に来る原告さんもいます。

午前中は厚生労働省前で、午後からは衆議院第二議員会館前で座り込みでした。議員会館前では民主党の末松義則議員も応援にかけつけてくださいました。

また、関西労働者安全センターの片岡明彦さんも応援に来てくださりました。


引き続きご支援をお願いします!















2010年5月20日木曜日

5月20日 厚生労働省・環境省前抗議行動

今日は朝9時から抗議行動でした。大変な雨の中、原告のみなさん頑張ってました!

わたしもずぶぬれでしたが、こんな機会はめったにないと雨にたくさんぬれることは受け入れましたw

あしたも朝から同じく9時からです。










大阪・泉南アスベスト国賠訴訟判決

ご存じの方も多いと思いますが、5月19日に大阪・泉南地域のアスベスト紡織業(アスベストを原料に糸や布を作っていた)に従事していた労働者やその家族、工場周辺で農作業をしていて被害を受けた遺族などが被害を受けた責任は国にあったとして2006年5月に提訴した裁判の判決が大阪地方裁判所から言い渡されました。

この訴訟に関わってきた人の多くは「勝訴判決」を喜んでいたと思います。ここまで到達したのは原告団の皆さんの裁判所での被害の訴え、何度も重ねてきた諸団体への要請、街頭での宣伝などの積み重ねの結果であることは間違いありません。また弁護団の皆さんのご苦労は私も間近でみていたのである程度は承知しています。さらに地元で提訴以前から患者さん、ご家族・ご遺族を支えてきた市民の会の皆さんの力が縁の下の力持ちになったとでも言えるのではないでしょうか。関係者の皆様のご苦労に敬意を表します。

ですが、私は昨日の判決を心の底から喜びに代えることはできませんでした。
理由は、3人の原告が敗訴したからです。とくに私にとって2人の原告はアスベスト問題を考える上で重要な意味を持つ方たちであり、特別な思いを寄せていた方たちでした。その二人が裁判所からアスベスト被害者ではないとされました(今日は判決に深く触れるつもりはないですが、二人の原告はアスベストによる病気ではないとされたのです。一人は遺族ですが)。とても喜ぶ気になどなれませんでしたし、裁判所に失望しました。
誤解のないように申し上げておくと、昨日の判決を喜んだ原告・弁護団・支援者・その他の方々を非難しているわけではありません。ごく私的な感想として、「個人的には喜ぶことができなかった」というのが昨日の私が抱いていた嘘偽りのない心情です。

さて、活動家のはしくれとしてはこの状況をどうすれば二人にとってプラスの方向に向けていけるだろうかと考えているしだいです。少なくとも、二人が負けたからといって即控訴だ!などと主張するつもりはありません(そもそも、そんな権限もありませんが)。
判決内容を聞いてしばらくして、最近読んだ湯浅誠さんの論文の内容を思い出しました(それについては前回のブログで紹介しています)。そうすると、司法にも判決を出すのにいくつもの「困難さ、複雑さ、厄介さ」があったのだろうと推察しますし、判決が原告全員の救済を言っていないからと判決そのものを非難する必要もない(1メートル先の目標に到達していないからと言って10センチの進展を非難しているばかりでは物事進んでいきません)、と考えました。
今、言えることは「その二人の原告は裁判所から間違いなく敗訴を言い渡された」ということです。その現実を受け止める一方で、原告団・弁護団が裁判所から獲得した成果があります。その成果をいかに上手くつかって二人の救済につながていくか、いま私はそれを考えています。それは二週間先、一か月先などという具合にスムーズにいく話でもありません。でも、裁判所が開いた道をどれだけ生かすかは原告団しだいです。私も二人のために原告団にできる限りの力を貸したいと思います。
最後は、世論がどこまでこの問題を政府に突き付けていけるか、にかかっていると感じています。

2010年5月18日火曜日

問われているのは誰か、そして何か

最近、湯浅誠「社会運動と政権 いま問われているのは誰か」(『世界』2010年6月号、岩波書店)を読みました。そのきっかけは活動家として色々と考えさせられることが多い関西労働者安全センター事務局ブログで紹介していたのをみたことにはじまります。

関西労働者安全センター事務局ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/koshc2000/MYBLOG/yblog.html

湯浅さんの論文を読んでみると、私が取り組んでいるアスベスト問題が抱えている運動的な問題と重ねて考えさせられました。このブログ本体の題名も湯浅論文を基につけました。論文を読みながら考えていたのは大きく分けて次の二つのことです。
一つは、私がごく短い経験しか持っていなかったがゆえに運動において「霞ケ関と永田町へのアプローチ」(つまり官僚と政治家、そして周辺の人間たちへの働きかけ)が最重要との認識を持っていましたが、そのような意識に傾倒しすぎていた自分への未熟さ。二つ目は、水俣病問題に代表されるようにアスベスト問題においても発生している運動の分裂について。

一つ目の問題においては、湯浅さんは内閣府参与となって政府内部の「複雑さ、困難さ、厄介さ」を垣間みたと述べています。同時に、内閣府参与となる以前は政府内部の「複雑さ、困難さ、厄介さ」を無視して〝政府〝に対抗していたと振り返っています。これまでの私はよくよく考えてみれば政治家(立法)、官僚(行政)が抱える「複雑さ、困難さ、厄介さ」をほとんど無視して、湯浅さんが論文でも述べているように「権力を持っているのだから、本気になればできるはずだ」という非常に安易な理屈付けをして問題を捉えてきてしまったように思います。ある意味、思考停止状態だったとも言えます。
といっても、まだまだそれら「複雑さ、困難さ、厄介さ」を理解してはいませんし、その全体像を捉えている人はいるのか?とも思います。ともあれ、何事もそれらを抱えながら事態は進展し(時には後退もするでしょうが)、距離に例えれば1メートル先に理想があったとしても社会は1ミリずつしか進展せず、劇的な変化も日々の1ミリの刻み重ねから起こるものだと湯浅さんは主張しています。
永田町と霞ヶ関の住人たちが織りなす構造を安易に捉えてきたこと、「複雑さ、困難さ、厄介さ」は運動体内部にも存在していることの再認識、「世論形成」を真剣に考えてこなかったことなど、反省することばかりです。

二つ目の運動の分裂。これについても湯浅さんの指摘は示唆に富むものがあります。深くは述べませんが、「政党からの自立・各政党との対等な関係」「大衆参加の運動づくりへの努力」「1ミリを刻むことへの理解(1メートル先に行っていないからと言って1ミリを刻んだ運動への非難をしないこと)」「各運動団体の結束(融合)への可能性の発見」を意識して今後の活動に取り組んでいきたいところです。
ブログやtwitterをはじめたのは、私がこれまでに経験したことのない運動の開拓の意味もあります。

本日、開始したツイッターはこちら
http://twitter.com/sawadyi

ツイッターでは行政の審議会などの「リアルタイムつぶやき」とでも言うのでしょうか、をやりたいと考えています。その第一弾を金曜日の21日の午後3時からの石綿健康被害小委員会で実施しようと思います。興味があればぜひ、つぶやいてください。私もたくさんつぶやきます。

話がずれましたがまとめると、自分がかかわるあらゆる問題において様々な局面において社会を構成している「一人ひとり」が「何かしら」を問われていること忘れてはいけないということでしょうか。
前述の安全センターブログでは明日、判決が出る大阪・泉南アスベスト国家賠償裁判について、「判決日まで、マスコミの報道量も増えますが、はるかに重要なのは判決後です。国家の責任が問われた裁判とは、その構成員である国民の責任ある行動を求めた裁判だと思います」、とありました。
問題解決に一生懸命になりながらも、いろんな側面から捉えられる自分の立ち位置を忘れたくはないものです。

まずは、とりあえず

どうも、はじめまして。

といっても、誰を対象にあいさつしているのかわかりませんが・・・。それがネットの世界と言えばそうですが。ブログを始めることにしました。
なぜかと言えば、一言で言うならば、「自己表現の訓練をしたい」といったところでしょうか。

大学を卒業して早一年。明らかに文章を書く機会が減ってしまいました。また、昨今の政治の停滞ぶりもあって(一概に鳩山政権を非難するつもりは毛頭ないですが)、社会情勢に対して細かく自分の意思表示をしたいと思っているし、自分がその時点において何を考えていたのかを振り返ることもできるし、自分の頭の中を文字に起こしてこそ整理されると思っています。

どうぞよろしく。